追い込みやな

 秋を訪ねる旅、不始末をしでかしたお詫びパーティーも終わり、残されたサバティカル期間は4ヶ月。もうそんなになるやなぁ。セガンだけでも仕上げたい思とったけど、あれやこれやと、関連する事項がどんどん増えて、もう、天文学的な眺望やわ、ほんま。
 セガンは果たして暴力的革命家であったか?つまりなんやな、武器持って走り回った人か?ちゅうことなんやけど、1830年革命ではルイ・フィリップ王から褒賞を授けられてるほどやから、軍功あったんやろなー。18歳、エリート・コレージュの生徒やったときや。
 んで、翌年にはサン・シモン主義者の一員に列せられた。国王に対する軍功がサン・シモン主義の目覚めの結果か思とったんやけど、サン・シモンは「キリスト教の武器は説得と証明である。」なんちゅうとんのやな。つまり暴力革命ハンターーーイ! ちゅうことは、熱心なサン・シモン主義者やったセガンは武器を取ることには抵抗があったはずや。せやさかい、1830年革命の時はセガンはまだサン・シモン主義のことは知らなんだ、と考えた方がええのかもしれんな。
 歴史的事実は一つだけやのに、歴史解釈はいくつもある。気が狂うで、ほんま。

閑話休題
 今日、清水寛先生に電話。「2012年」セガン生誕200年を記念して社会の平和的進歩を願う学的行事を持つ、そのための準備過程をどう組織するか、について、先生もぼくも意識がシフトしているという共通理解が得られた、ジャマイカに出かける前に先生と詳細な打ち合わせをすることになった。12月14日。