団結は力なり

 セガンが無肩書きで署名している「労働者の権利クラブ」ポスターに「L'union fait la force」とあるんや。日本語で言うと「団結は力なり」なんやな。で、ぼくなんかは、非権力者、弱者が権力に異議申し立てをしたり、立案・提案したりするときに、一人一人やと声も届かん、みんな声を合わせて、言おうやない、というような文脈で使うてきた。そんなもんやと思とった。せやさかい、「団結は力なり」というのは社会的弱者の立場に立って「労働者の権利」を高唱するという文脈で理解したんやなぁ、あ、ぼくがやで。ぼくの若い頃の意識と行動で言うと「階級的認識」ちゅうことやな。
 そんで、「階級的認識」に基づく「団結は力なり」ちゅうんはフランス史ではいつ頃から使われるようになったんやろ、サン・シモンはつ使ことんのやろかと思て、文献調査をしました。サン・シモンは『産業者の教理問答(第一分冊)』(1823年)で「団結は力を生む」と言うとる。「団結は力なり」と明言しとるわけではないけど、趣旨は同じやな。
 そんで、「団結は力なり」の使用例は1850年に見つかった。1850年の使用例は「鷲、国民相互保険会社」の設立文のタイトル。もっと後の見つかったんは、正統王朝主義者たちの愛国的感情を示したヤツで、ナポレオンIII世の政治を強く支持するために、「団結、ガンバロー!」「オー!」ちゅうヤツ。
 ちゅうことは、セガンのポスターの方が早いんやけど、「階級的認識」ちゅう範疇で括るんは間違いなんやろなー。
 まあ、たしかにそやな、きわめて保守主義者である政治家集団が、左手を腰に当て、右手に牛乳瓶を持って・・・・ちゃう、拳を作って「オー!」ちゅうて、挙げとるやんか。あいつ等「社会的弱者」ちゃうで、絶対。

 面白いちゅうたら面白いけど、先が思いやられますなぁ。