言葉と教育の会 その他

 きんのう、言葉と教育の会があった。若手から超ベテランまでが何らかのレポートを持ち寄ってディスカッション。面白かったです。楽しかったです。ほんまにひさしぶりに、参加してる、という感じを持ちました。ぼくの発言は、相変わらず、レポートとコメント批判やったで、嫌われたやろなーと思いますけど。中学国語古典に関するレポートとディスカッションの中で、「古典の教育なんて明治になってから始まったのだから・・・」という発言に対して、「古典の教育以外も、すべて、明治になってから作られたもの。公教育という概念と共に登場したという点で、という意味ですけど。だから、そもそもはそんな教育はなかったのだからいらない、という意見には与することはできません。」てな調子でした。要は、日本文化論が復古調の国権主義者に牛耳られている現実とどう対峙するのか、古典は国民の共通教養でなくていいというのか、そのあたりの議論に進めたかったけど、まあ、焦らんことや。
 セガンについても30分時間をいただいて報告させてもらいました。まったく知らないという人がほとんどの中で、セガンが特殊な研究対象、歴史的人物だという捉え方をどう変えてもらうか、セガンを通して教育の本質論をどう考えてもらうかが、ぼくの課題意識なんやけど、現実のレポートは、先行研究においてすらセガンがきちんと理解されていない現実を、異文化論、翻訳論を例にして語りました。志摩陽伍先生から、詳細な史料発掘とその丹念な読み込みにもとづく論理構成がじつにみごとである、と大変なお褒めをいただき、とてもうれしい思いをしました。ありがたいことです。
 今日は浦和で清水寛先生と懇談。2012年をどう迎えるかがテーマ。前々から先生の方で口にされていた講座について。「2012:ルソー&セガン/講座」のスケッチ。3年間かけて行う。テキストを用意するゼミ的な講座となる。ぼくはセガンを、清水先生はルソーを。その他に常連講師を何人かにお願いする。
 「1843年著書」の正確な翻訳が求められました。頑張ります。

 明後日から、ヤギさんがとことこと道を歩いて夕べを急ぐ光景のジャマイカに行ってきます。それで、携帯から発信しない限り、今年のブログは今日でおしまいとなります。読者の皆様、ありがとうございました。そして、よいお年をお迎え下さい。