パリ・コミューン研究を地道に開始

 昨日のこと。H君の訪問を受けた。出版社より出張校正を受けた。魚料理の夕食会を催した。
 パリ・コミューン研究を再び進めている。宝の持ち腐れはしたくない。
 パリ・コミューンの広報紙の全目次作成をはじめた。1871年3月20日号がパリ・コミューンの夜明けを告げる第一号となる。サマリーを眺めていたら、「シャルル・ユゴーの死」の見出し記事がある。そうだ、ヴィクトール・ユゴーの末子の死についての記事だ。ユゴーがこの日の葬儀を詩で描いている。もう10年前に訳出したきりで見直していないから、この機会にもう一度挑戦してみよう。バスティーユ広場からペール・ラッシェーズ墓地にいたる沿道の様子や、小高い山になっている墓地の全容を描いている場面、棺を収める時の心情など、忘れがたい筆致である。