広報紙(官報)より

 パリ・コミューンの広報紙は、Journal Officiel de la République Française をタイトルとしているが、Journal Officiel de la Commune de Parisとする号がある。1871年3月30日発行で、通算すれば第11号目にあたる。もちろん、Journal Officiel de la Commune de Paris の第一号であり、この号を限りとしている。パリ市議会では官報の名前を巡って議論していた記録が頭の中にあるので、きちんと史料で確認したい。パリ・コミューンは、当然の権利としてパリがコミューンであることを宣言した、と「官報」で記している。コミューンであるということはコミューン連合体の上に組織される共和国政府とは異なる、ということのはずである。共和国政府は、その「官報」として、もともとJournal Officiel de la République Française を発行している。3月19日を境として約2ヶ月間、フランスにはJournal Officiel de la République Française という名の「官報」が二種類存在する。こうした「官報」問題からすれば、パリ・コミューンは共和国政府に対して、政治的権力を奪還しようとしていた、とすることは当然であろう。Journal Officiel de la Commune de Paris を「官報」名にしていたならば、コミューンとしての自治権独立の要求と戦いであったとすることができるはずなのに。
 このあたり、「労働者階級の初の政府=パリ・コミューン」という通説に違和感を覚えてきたぼくとしては、こまめな史料解読が必要だろう。新聞活字との戦いの日々がこれから続くことになる。