ある会話より

「『赤い鳥』から生活綴り方へ、という歴史観に納得できません。」
「それについては、すでに私は、誤っている旨を語りました。」
「ですが、今回のご本では、『赤い鳥』から生活綴り方へ、となっています。」
「ですから、そのことについては誤っていた旨をお話しし、改訂版の際には訂正するとも申し上げました。」
「いえ、私が申し上げているのは次のようなことを踏まえてのことです。今回のご本のご執筆段階で同様のことをすでに指摘しております。そしてその際にも、自分の考えが間違っていた、旨をおっしゃいました。ですが、今回の本では」(電話が切れる。かけ直すがお出にならない。)
 心の底に染みついた歴史観はそう簡単には払拭できない。だからこそ、言葉を換え、方法を変え、原史料を提示し、また、何故に「『赤い鳥』から生活綴り方へ(と「発展」)」ということが語られてきたか、1930年代のジャーナリズムの主導性・イニシアティヴについても、何度も語ってきた。そのことを心に留めないからこそ、「誤っていると言っている」と言ったとしても表現は変わることがないわけだとぼくは案じる。『赤い鳥』にも『綴方生活』にも子どもの作品を寄稿しているから「『赤い鳥』から生活綴り方へ」という命題が成立しない、というのはあくまでも現象指摘でしかない。指導・教育の本質は何であったのか、子どもの作品を教育の対象として非常に重要視しまたそのように扱ったことから、どのような教育・指導論が誕生するのか、その視点を欠落しては、何ら歴史研究にはなるまい。