うれしい

 中学、高校時代のひとりの友人に献本したところ、返礼の葉書が届いた。全くの専門外であるにもかかわらずお読み下さった上でのことである。とても嬉しい。献本しても、おそらく目次さえ見ないでだろう、「障害児学級の担任になったので、先生の本から学ばせていただきます。」との趣旨が、携帯メールで送られてきた。いかにも簡易な時代の簡易な関係の表れである。このような教育界の現場の人とは比べもののない程、温かい心を知ることができた。このところ少々沈んでいただけに、無上に嬉しい。こんな文面だ。

 久し振りでハガキを差し上げます。当方のご無沙汰をお許し下さい。セガンの業績を200年遡って掘り起こした立派な書籍をお送り下さり、大変ありがとうございました。
 予告の手紙を拝見した時は、見覚えのある貴君の文字や文章に懐かしさとうれしさを感じました。その後書物を受け取り、拝見してゆくにつれ、貴君の10年以上の思いと努力を重ねた真摯さに打たれました。この年令でこの本(大作)を出す姿勢を維持する川口君は立派だな、と心から敬服します。これをお伝えしたくて書きました。お礼にかえて、川口君へ。

 そうなのだな、彼は十分すぎる程社会貢献をし、リタイアをしておられる。その彼からすれば、この年令、ということなのだろう。ありがたいお褒めの言葉だと、素直に頂いておく。しかし、と、つけ加えて。ぼくは今まで社会貢献をしきれていない、社会不孝ばかりだったから、せめてあと少しの時間をいただき、もう一歩進んでいきたいと思っている。