「野性の少年」

 午前中写真展、午後清瀬
 清瀬にて。先週、「野性の少年」を観たが、途中でストップし、今週は結末をどう予測するかの、意見交換を行った。司会をたて
、各自が自己の考えを板書する、という形になる。以下が板書された。

 

・いま身振りだけしかコミュニケーションの方法がなくても、会話ができるようになればいいと思う。
・イタール先生に訓練されたヴィクトールは、少しずつですが、言葉を話せるようになっていると思う。
・幾つかの単語は理解できるだろうが・・・。
・身振りでのコミュニケ―ションはできるようになるが、会話をすることはできない。
・言葉のようなものが出るが、物を”言葉”にするという概念がないのではないか。=声を使って会話はできない。行動面では、観て感じることができるため、適応できると思う。
・単語は少し理解できたとしても、文章は作ることができないと思う。
・言葉は今以上には発達しない。11歳から言語を獲得するのには、限界があるのだ。
・ヴィクトール自身でものごとを頼めるようになる。(「レ」を頼む前に言える) 感受性が身につく。
・ヴィクトールがしゃべれるようになって、彼が、言語習得するまでに、何を感じて生きていたのか、教えて欲しいと思った。
・人間がものごとを覚えるのに、一番大切であろう時期を過ぎてしまっている気がする。よって、簡単な単語やルールは覚え、できるようになるが、コミュニケーションが完璧にはならないと思う。
・単語の意味は少し理解できるようになる。
・言葉のみによるコミュニケーションはできない。
・現時点で食欲など最低限の欲求を伝える手段を持っており、これ以上コミュニケーション能力は発達しない。
・発見、保護されたのが遅かった。だから、単語くらいしか覚えられない。先生や、家政婦とはコミュニケーションが取れても、他の人とは無理だろう。つまり、一人で生きるのは困難である。
・コミュニケーションを取れるようになったとしても、言語に触れていなかった期間が長すぎるため、上手くはできない。
・希望として、相手の言うことを理解するまで発達して欲しいと思うが、言葉と物の関係を理解しないままだと思う。
・言語は、初期の頃に一番吸収するが、その時期を過ぎているヴィクトールは、今後きちんとした言語を得られない。
・今まで言語を使って会話をしてこなかった。言語習得の時期が遅れたため、単語のみの会話しかできなかったと思う。

 
 「発達可能性」について十分に知っている彼らではあるが、今日の発達科学の成果を防具として、みごとに発達限界の論を張っている。ジョークを交えて、「映画だよ?映画でさ、このように発達限界をテーマに描いたら、誰も観やしないじゃないの?」とチャチを入れて笑わせた後、映画の続きを観る。彼らは、「野生」で生きることができない程に「文明」化された少年の姿を見ることになる。映画のあと、「これを事実として研究者は語ってきたが、史実とは違っている」と紹介。
 あとのコマは、来週の遠足の企画。遠足の場所は学習院大学。12時20分集合。いつもよりかなり早い。