掲載誌落手

 雑誌『教育』6月号、今朝の便で落手。5月号執筆を依頼されたが断りなく6月号にまわされている。「断りなく」というのは大きな問題。天下の雑誌だから編集部の気のままであることは許されるのか?
 中学時代の友人に「とくさん」がいる。賀状に電話番号が記されていたので、拙著献本をお伝えしようとしたが、留守だった。出版社には献本のメールを出した。
U氏への返礼:
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 ご多用中にもかかわらず、拙著に関するご感想をありがとうございました。  
 SeguinはSéguinとも綴られますので、「サガン」という読みにはなりません。 セガンです。どうでもいいことですけれど、思い違いをなさっているのかもしれないと思って書きました。
 とこで、1.公文書にこだわったこと。
 セガン研究の全てが(日米欧とも)セガンのライフヒストリーを伝聞で書いているため某氏風に言いますと、「セガンともあろう人なのだから」という枕がついて、彼の歩みのそれぞれに対し、解釈されてきました。事実を語っている史資料によってこそ、綴ることが必要だ、と思った次第です。幸い、フランスは古文書類が系統的・体系的に累積保存されつつある国ですので、公文書探索が可能でした。文献至上主義的なこれまでの研究方法に対して、異議申し立てをしたつもりです。これは「第一章」「第三章」にあてはめていただいてけっこう です。その点で、第二章は、なかなか公文書に巡り会うことができず、一般に流布した当事資料で綴らざるを得ませんでした。第二章は、その意味で、私としては大きく心残りのするところです。
 また、『しんぶん赤旗』2010年5月9日号に掲載された清水寛氏による拙著書評 は、私の執筆本意に沿っておりません。残念だとも思い仕方ないとも思います。 障害教育史の観点から評したのであれば、第三章こそ「白眉」としていただきたかったのです。いまだかつて公文書の発掘と解釈、史的意味づけを、どなたもなさっていなかった点で、私が研究方法上、いわば全てを超克することができたと自負しております。知的障害教育(実践)史の開拓過程を公文書で確かめることができたのです。
 結局、清水寛氏にとって大切だったのは、白痴教育と社会改革とが統一される必要がある、という視点であり、すなわち「革命家・セガン」を描いたことを褒められたのかな、としか感じられませんでした。それは清水氏流の白痴教育論であります。 川口は?と問われますと、返答に窮します。革命的であった方がいいだろうけれど、そうでなければならないとはいえない、とも、歴史的には考察できます故。
 あとは、何故に川口がセガン研究をしたのか、そしてその到達課題は何か、ということをお話ししなければなりません。結論から言えば、私の生活綴り方研究の延長・発展である、ということです。、
 今後ともお導き下さいますように。