誤訳プロパガンダは止めにしたい

 「近代主義」がもたらした禍根か?それとも「政治主義」にはまった無能なのか?こんなことを考える・・・。
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 翻訳という作業を、外国語から日本語への転換、という意味だけに限定しないでもっと広く考えてもいいかもしれないと、このごろ思っています。ちょっと乱暴ですけれどね。例えば、1930年代のわが国の教育状況についての研究を考えてみます。生活綴方教育という名で語られた教育の営みが盛んになされました。これは、多くの研究者が、「戦前の民主的な良心的な子どもの立場に立った教師による創造的な営みである」という歴史的な価値を付与しています。確かに治安維持法被疑事件の対象とされたという抑圧・弾圧を受けた歴史を持っていますし、戦後の民主主義教育出発の折には、戦前の生活綴方の実践家たちの多くがかつてのおのれの実践を語り、戦後教育を教育現場においてリードしていきます。
 しかし、やがては教育行政からは「赤い教育」とレッテルを貼られるようになり、教育史的常識として教員養成の教育内容に組み込むことがはばかれるという事態をも生み出しています。この文脈でもって戦前の生活綴方に対する「翻訳」がなされてきました。ある大学では、学生が、生活綴方を卒業研究の対象にしたいと言ったところ、指導教授が、お前の研究指導はおろかお前の就職の面倒もみないぞ、と言うというようなことまで起こっています。すべて「翻訳」のなせるわざです。
 ある生活綴方研究者=自称ーもまたその「翻訳」語を駆使して「生活綴方」教師の業績を称えています。長崎県のある「生活綴方」教師の実践の形である文集に、「兵隊さんへ―支那人の首をたくさん取って帰ってきてください」という作文が掲載されていました。その文集は全国的に有名なもので、当時、多くの教師たちにも読まれ、もちろん子どもたちにも読まれ、ある種のテキストとして尊ばれていました。その作文を目にしたぼくは、当該の研究者に、「先生は、この作文の指導者が、この作文をどのような意味を込めて文集に載せたとお考えですか?」と訊ねました。研究者は即座に「もちろん、批判的に載せた」と答えました。「その根拠は?」「指導者が民主主義者であり、反戦・平和主義者だから」。ぼくの問いに対する答えは、歴史的文脈、史料クリティークを用いてではなく、「指導者が民主主義者、反戦・平和主義者である」という、あえて言えば風説の類、史実に則って言うとすればその教師が当該の実践をしていた時に「民主主義者であり、反戦・平和主義者である」と評価されるのではなく、戦前の教育実践を悔いて新たに自己形成した像であったわけです。「今」の姿を見て「昔」を評価するという愚行の典型です。
 これなどは、典型的な誤訳・意訳に当たります。ぼく自身も若い頃盛んにしていた誤訳です。誤訳を元に「生活綴方は自主的民主的民族的であった、日本の誇るべき教育伝統だ」とプロパガンダしました。もう、こんな反科学的なことは止めましょうよ。