望むべくもないが

 悪さをしてつり下げられ、得意になって枝に登りゆさ振り落ちた柿の木の、何代目かを目にしたのが5年前。今日はさっぱりと根こそぎなくされているのを見いだした。「猫の額の畑」のスペースとお隣の家屋はかろうじて残っており、幼少期を忍ぶ痕跡となった。しかし、それ以外、田畑はすべて家屋に変わっている。ぼくが転げ回るように走り続けた小道は、車が通らぬ故か、雑草に覆われていた。しかし道の役目は棄てていない。
 桃園・木造の「赤坂遺跡」は看板こそ立派になり視覚に訴えているが「現物提供」はかなり後退、住居柱跡などはまったく消えてしまっていた。
 帰路、田んぼの溝で網を持ってなにやら掬っている後期青年。そばのガラスの器に網から取り出したものを移している。「泥鰌です。」とくだんの青年。ああ、懐かしい。ぼくが60年ほど前に経験したことがここ桃園に残っていた。そういえば、白鷺の姿を見たな。あと、稲刈り後の煙立つ光景など、どれほどお目にかかっていないことか。ぱちりぱちりと、煙の中の人影忘れず、ファインダーに落とす。さらにレンズを引いて夕焼けの田園風景に煙を溶け込ます。明日午前中は旧町内へ。亡母の御霊を慰めに。お昼から同学年会。50年ぶり。明後日は本家へ。懐かしい人たちが集う。

**