生活綴方とホール・ランゲージ

 「生徒指導の研究」の教材作成。「子どもを捉える」(指導的視点と方法との展望)ことを内なるテーマとして、ホール・ランゲージ大会での報告(日本語原稿)をもとに作成。以下の内容。

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 これから私は、日本の草の根教育運動の一つである生活綴り方につて紹介いたします。生活綴り方の「生活」というのは、英語ではlifeに相当します。綴り方というのはwritingに相当します。でも、生活綴り方にはある意味が込められており、狭い意味での作文教育に限定した教育の営みではありません。
 まず第一に、生活綴り方教育の目的は、子どもたちの言語能力、つまり、読む、書く、聞く、話すことの力の発達を豊かにさせることにあります。そしてそのことを通じて、知的な力を広げ世界観形成の有効な役割を果たすことにあります。
 生活綴り方は、現実生活の中で、見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと、行ったことを、ありのままに表現することを、とても大切にしています。これは、whole languageでいうrealityということに通じることだと思います。子どもたちは、日記や作文、そして詩を綴りますが、生活綴り方教師がそれらの文章を読む時にいちばん心を使っていることは、それが書き手にとって本当のことなのか、ということです。Kitagawa夫妻はmaking connections with writingで生活綴り方の本質を説明していますが、まさしく、何が「書き手志向」なのかといいますと、書き手にとってのrealityであるわけです。
 第二には、生活綴り方教師が好んで使う言葉に、「書きあう」というのがあります。書くことを通してクラス・コミュニケーションを豊かにしていく、という意味になります。学級の仲間が書いた作文がディスカッションの素材となり、テキストに変わる学習材となり、生き方を励まされるモデルとなります。こうした全体の働きを「書きあう」という言葉に象徴させているのです。
 つまり、生活綴り方は、「書くこと」と同時に、他の言語活動を総動員して行う総合的教育ということになります。また、書き手にとっても、読み手にとっても、「書きあう」というコミュニケーション活動は、その過程の中で、自己内対話を含めて、それぞれが自分なりのrealityとは何かを探究する、援助することになります。
 第三に、当然のことながら、こうした教育的な営みは、教師中心ではありえません。どこまでも子ども中心の考え方と方法とに貫かれています。そしてまた、非権力であることもいうまでもありません。生活綴り方教育は、1920年代の世界的な新教育運動の影響を受け、日本独自の土壌の中で生まれました。ほとんどすべてが国家権力によって規制されていた初等教育の中で、教科書も教育方法も自由な窓であった「国語科・綴リ方科」という小教科を糸口にして、子どもの立場にたった教育の営みを求める教師たちによって始められました。太平洋戦争中は軍国主義による弾圧・抑圧によって行うことが出来ませんでしたが、戦後また復活して、今日まで続けられてきております。
 何よりも子どもを愛し、子どもの現実生活を言語・人格発達の土壌と捉え、子どもによって子ども自身が何にもまして豊かな教育材となる。こうした子ども中心の考え方は、whole languageの考え方と同じだと思います。
 最後に、whole languageでいうauthenticityということについて、触れておきたいと思います。
 生活綴り方には「本当のこと」という言い方があります。これは、実在する客観的事実のことばかりではありません。書き手やクラスメンバーにとって「本当のこと」というのは、それぞれにとってかけがえのない、誰にも否定されることのない真実という意味も含まれています。
 今、「本当のこと」を大切にするということが非常に困難になってきています。私の教師教育の経験からも、日本の青年たちは「本当のこと」に目をつぶろうとしています。しかし、「本当のこと」の大切さに気づいた時、彼らは、じつに豊かな、知的、人格的発達を進めていきます。
 私たちの「本当のこと」、whole languageのauthenticity、それぞれの「本当の」意味を探究する必要がとみに強くなっているように思われます。