セガン著作解題のために③④

③ Théorie et pratique de l’éducation des enfants arriéres et idiots. Leçons aux jeunes idiots de l’hospice des Incurables. Chez Germer Baillière, Paris, 1842.
④ Théorie et pratique de l’éducation des enfants arriéres et idiots. Deuxième trimestre. Leçons aux jeunes idiots de l’hospice des Incurables. Chez Germer Baillière, Paris, 1842.
セガン30歳の作品。男子不治者救済院での実践記録である。作者名ÉDOUARD SEGUIN。拙訳邦題③『遅れた子どもとイディオの子どもの教育の理論と実践―不治者救済院のイディオの子どもたちへの訓練』、④『遅れた子どもとイディオの子どもの教育の理論と実践―第2四半期、不治者救済院のイディオの子どもたちへの訓練』拙著知的障害教育の開拓者セガン―孤立から社会化への探究』ではそれぞれ『1842年第一著書』『1842年第二著書と略称。前者は1841年10月〜12月まで、後者は1842年1月〜3月までの記録が綴られている。それぞれ、全49頁、全37頁。出版社はCHEZ GERMER BAILLIÈRE(ゲルメール・ベリエールの店)、パリ10区、デュ・レコール・メドゥサン通り17にある医学専門出版社である。印刷所はパリ11区クリスティーヌ通り2のImprimerie de Cosse et G.-Laguionnie(コス及G.-ラギオニー印刷所)、ベリエール書店の近在にあった。なお、『1842年第一著書』のオリジナルがセガン自身によって彼の出生地フランス・ニエヴル県クラムシー市に寄贈されており、同地のメディア・センター内の図書館に蔵書されている。またパリの医療・福祉関係の古文書館AP/HP(アーペー/アッシュペー)古文書館にも蔵書されている。しかし、『1842年第二著書』のオリジナル版の所在は不明である。なお、両書とも先の『セガン著作物』に収録されている。ただし、『セガン著作物』には印刷所、住所頁は欠落している。
 我が国への受容は、『1842年第一著書』のみが、中野善達訳『エドアール・セガン 知能障害児の教育』(前掲書)に、「知的遅滞児・白痴児教育の理論と実践」との標題で訳出紹介されている。この訳文のタイトル裏頁に「不治者施療院理事会への報告=サルペトリエール院における実践の最初の三ヶ月間のまとめ(1842年)」と記されている。
 これは中野善達によって書き入れられたものであるが、「不治者施療院理事会」に相当すると思われる原語は、セガンのテキストから判断するとles administrateurs du conseil général des hospicesであろう。これは「(パリの)救済院総評議会」の「管理委員会メンバー」であり、中野善達がいう「不治者施療院」とは「(パリの)救済院」の一構成機関でしかない。さらにまた中野善達は、著書③を「サルペトリエール院」での実践の報告としているが、実際は先に触れたとおり男子不治者救済院での実践の報告である。「サルペトリエール院」とは、女子の為の一大救済院であった「ラ・サルペトリエール救済院」を俗称とし、当時は「女子養老院」を公称としていた機関の、日本呼称である。中野善達は何故に「サルペトリエール院」での実践だと断定したのかその本意は不明であるが、アメリカの障害教育学分野の学者マーブル・タルボット(Mable E. Talbot)がその博士論文“ÉDOUARD SEGUIN : A Study of an Educational Approach to the Treatment of Mentally Defective Children”(1964)で、セガンのフランス時代におけるイディオ教育は、アドリアンへの教育、サルペトリエール救済院the Salpêtorièreでの教育、ビセートル救済院the Bicêtreでの教育、そして独力で設立した学校での教育である、としたことと無縁ではあるまい(中野善達はタルボット論文の共訳者でもある)。
 報告書がなぜ綴られたか、そして斯界の評価はどうであったかについては拙著『知的障害教育の開拓者セガン―孤立から社会化への探究』において、ある程度ページを割いて記述した。では、セガンは、イディオ教育を進めるにあたっての実践的理論的武器としたのは何であったのか、彼の実践の反響はどうであったのか、などの点を十分に検証することができていない。いわばセガン実践の客観化と言える事柄については、『1842年第二著書』に、セガン自身の手によって綴られている。そうだとすれば、その検証の課題が残されていることになる。『1842年著書』2冊は、今後、訳出公刊される必要があると、強く思っている。
 中野善達訳『エドゥアール・セガン 知能障害児の教育』(福村出版、1980年)は、全体としてきわめてずさんな邦訳書であり、セガン研究の為にはもとより、セガン理解にとっても、益のあるものではない。