「ディベート」

 学生が行うグループでのおしゃべりあいで、ほんの少し異論が出るような状態を、「ディベート」と呼んでいるらしい。授業のグループでの話し合いが、各自一度意見を言う、それを一通り回す。ほんの5分も声を出しあい、後は沈黙状態が続く。それを以て「多様な見解が出た」と言う。一体どんな教育を受けてきたのだろう。教師の板書をひたすら写し、「質問は?」の声で、ノートテイクに疲れた手をやっと休めることができる、という典型的なそして普遍的な「取り入れ型」教育の犠牲者である学生たちに、多様な他者がいて多様な価値観があってもそれだけでは「群の中の孤立」でしか無く、それらが交わりあう共同体が形成されてこそ、初めて、自分を作り替えてくれる新しい価値が創生されるということを、学んでもらいたい。そのためにどうしたらよいかに腐心する日常。彼らが口にする「ディベート」も、文字通りの論理戦争に導けば、突破口になるだろうか。
 今日は「ディベート」の第一歩。まずは「論題」を全員で共有する作業。そして「論題」を論理展開に進める為の戦略作業。可能ならば資料収集。「意見発表会」だと抜かす学生もいるが、違いまっせ。