随分生きてきたんだなぁ

 今日は67歳の誕生日。昨日が誕生日だと思って祝いメールを下さった方がいるが、今日です、戸籍上は。本当のところは自身で生まれますと言ったわけではないので分からないが、母から何度も聞かされたことは、「戦争中でなあ、今みたいに産休なんてあらへんだで、お昼前頃陣痛が来たんで校長先生に、ちょっと病院へ行って来ます、ちゅうて早引きして、あんたを産んだンや。」ということ。真偽の程は分からない。話の文脈は、確か、「この頃の若い先生はちょっと頭痛い、腹痛いちゅうては、よう休む。だいたいからお母ちゃんの頃は・・・」と言うことだった。非人間的な状況下でもがんばらなあかん、という、滅私奉公主義。それと同時に、生きる為には何でもする主義。逞しい常民像そのもの。あ、宮本常一氏が聞いて怒るか。ぶつくさぶつくさ言いながら結局お上ごもっともの結果へと行動する母親像から学んだものは、それが典型的な日本人像であり、ぼくの終生の嫌悪対象であり、しかし子細に振り返ってみればぼく自身の中にも巣くっている人間像ではある。
 育ちの悪さから懸命な母性愛に守られて生き延びることができたが、「ありがたいと感謝しなさい。」と、誰からも何度でも言われ続けている。そういう倫理観に辟易して生きてきたことは否めない。立派な哲学があるわけではないが、親が子どもを死なさずに育て上げるのは生物の種の保存の本性に基づく。それだけでいいじゃないか、と何度も思う。何でここで「親の愛情」故の「親への感謝」という言葉が吐かれるのか。そうしなければ親も敵という人間社会が作り上げた生物秩序破壊行動によって、人間社会そのものが滅亡するというご大層な危機感から生まれたわけではあるまい。結局、アイデンティティの問題なのだろうな。中華思想アイデンティティ
 ゆらゆら揺れながら、そうしたアイデンティティを壊し、新しく構築し直す人生の旅を、ここまで続けてきた。そして今もなお、再構築できておらず、己の中に醜い日本人像を見出す。正直、疲れた、と思う。