ありがたい「読み」

jittyan2010-11-19

 昨夜、私立高等学校非常勤講師のS君と池袋の三木で会食を持った。先週、S君の方から会食の誘いを受けていたのだが、彼と二人で飲食をするのは初めてのこと。4年前3年前に彼はぼくの授業を受けている。彼には拙著「知的障害教育の開拓者セガン―孤立から社会化への探究」(新日本出版社)を押しつけのプレゼントをしており、「できれば感想を」と言ってはあった。
 三木のカウンターで隣り合わせに座り、鬼カサゴのひれ酒で乾杯。すぐに彼は「まだ2章までしか読んでいませんが、感想を言います。」と切り出した。初めに出た言葉が「自然科学の本を読んでいるようです。」エッ?と身構えたところ、「自然科学の研究方法と同じ、きわめて資料実証主義で、余計な私見は入っていません。資料で歴史を語らせている、と読んでいます。」と続けて言った。つい先日には、現在を生きる者が現在体験的私見で拙著を評した愚文を読み、かなり落ち込んでいたのだが、S君のこの言葉で大きく救われた。愚文の主は歴史は分からないと言ってよこしたが、S君は自然科学分野の生命科学という文字通り歴史とは縁のない専門分野で生きている。「生々しい資料で歴史を語らせているから、躍動感があり、とても読みやすいです。」ともつけ加えてくれた。
 彼は学部時代にアーカイヴス関係の授業を受け、共鳴することが多かったようだ。「先生、アーカイヴズで教えられますよ。」とおだててくれたのは愛嬌。「資料類はどうやって検索したのですか?」と言うので、「公文書類はいくつかの公文書館で。フランス社会はアーカイヴズがとても進んでおり、司書も適切なガイドをしてくれます。生育史関係は市役所窓口に案内を請い、日本で言うと戸籍係の強大な協力をもらいました。その他の資料類は、ほれ、ぼくお得意のそぞろ歩きの中で飛び込んだ古本屋から古本屋連絡網のようなもので検索協力をしてくれましたし、後は公共図書館で。」「先生のパリ歩きエッセイ面白いですよね。」「そうそう、ああいう無駄なばかばかしいことが、ぼくの場合、研究に直接有用になったわけ。」
 「セガン研究は、これからどう向かいます?」
 「うーん・・・、まだ未発掘資料が多くあるとは感じているんだけどねぇ」
 セガンの半生を通してフランス初期近代を覗いてみた研究。決して障害教育研究ではない。S君は、そのことを理解してくれていた。