あとちょい 苦しい

 論文執筆。峠を越えて里村の明かりは見えているが、足許がおぼつかない。
 論文の内なるテーマは専門職としての教師像の形成、ということになるか。医学博士の指導・管理に従わなかったことや語り口調が攻撃的に見えることから、キャラクターとして捉えがちだが、医学博士から相対的に自立しようとあがくセガン像としてみれば、これほど創造的な歴史事象はないことに気づいた。里村の明かりは教師自立論。施療院や救済院は、すべからく、医学博士の管理に置かれた。そこで開設された学校も、子どもの権利などという意識は毛頭無く、医学的論証材料として、子どもの発達を見る道具。生存権、教育権論を激しく論じ戦う組織の活動家セガンが白痴教育の道に入った時、当初こそイタール、エスキロルの「真似び」であり、それなりの成果を出したけれど、それに飽きたらずに先に進み行ったモチベーションこそ、子どもの人格発達を生存権として、より具体的には労働権として実現することにあったと、考える。拙著ではこういう言葉で綴ることが出来なかったので、リベンジだ。が、よろよろ・・・。