結語

「発達権」という人権概念がまだ誕生していない時代、子どもたちは何の為に教育を受けるのかと言えば、労働者・市民として期待される有用な人間になるためであった。19世紀は、その理念が制度や具体的な実践として形作られつつあった。しかし、それに人権思想が伴わなければ、子どもたちはただただ抑圧される「おとな」になるだけである。
 セガンは教育活動ばかりではなく、同時期、社会活動にも参加し、生存権、教育権、労働権などの確立・実現の主張をしている(川口 2010)。19世紀前半期フランス社会で繰り広げたセガンの諸活動をトータルに捉えれば、彼の「イディオの教師」としての立場は、まずは子どもたちを主権者としての実践能力を備えさせるべく実践・理論を構築し、さらには医療とは相対的に自立した実践能力を持つ教師像を構築するという、二重の「戦い」を、当時のフランス精神医学界に挑んだと見ることができるだろう。その遺産は大きい。
*************
 文字化することが出来た。さらに研究を深めるべき課題を提出したが、既に誰かが為しているのだろうか?そのあたりの情報に接することが出来ない。