セガン生誕200周年の旅の構想

 来年2012年8月に、セガン生誕200周年を記念して「セガン研究の足跡を辿る旅」が企画されている。某先生は参加されるかどうかは不明だが、「もし行くことになるのなら自分の青年期の自己形成に強い影響を受けたロマン・ロラン記念館(クラムシーのそれではなくヴェズレーのそれ)に立ち寄りたい」との強いご希望が出されている。セガンはロマン・ロランと同郷であること、ロマン・ロランはクラムシーで生まれただけではなく、クラムシーのサン=マルタン教会で葬儀を行っていること、ヴェズレ―はクラムシーからさほど遠くはないことなど、「せっかくの機会だから」と旅日程に組み込むことにしてもらった。
 今日は少しロマン・ロランについて学習。
 クラムシーに生まれクラムシーのコレージュで少年期初期を過ごすが、やはりさらに優れた学校を求めて、パリのリセ、サン=ルイに学んだ。おおー、セガンはもともとクラムシーに学びは求めずオーセールへ、そしてパリのコレージュ、サン=ルイで学んでいる。同じじゃないのさ。でも、その後が違うね。
 セガンはエリートコースから「ドロップアウト」し、法学部へ、ロマン・ロランはクランドエコールの一つ(グランゼコール)、高等師範学校へ進んでいる。すごいね。超が付くエリートさんだ。
 パリの生活で重なるところはないかしら・・・。
 ロマン・ロランが「ジャン・クリストフ」を書いたのは、多くがパリ、モンパルナス大通り152だと。地図を引っ張り出してしげしげと眺める。しかとした情報ではないが、このあたり、ぼくがうろつきまわる天文台、棄て児施療院、聾唖学校、そしてセガンの居住地あたり、ではないのさ。
 なんともはや、偶然の一致とはいえ、心はやる情報との出会いの今日。