道端

jittyan2011-04-25

 地元のさるミニコミ紙に「随想」の寄稿を求められていた。すっかり失念していたが、昨日、記事に添える顔写真を撮りに我が家を訪ねると、連絡があった。しかし、写真は撮るのは好きだが撮られるのはまったく好まないのでお断りをし、依頼を受けた当時モチーフにしていた題材で、短文を綴った。以下のごとし。
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 昨今の大学教育は、演習でなくても、学生と大いにコミュニケーションを取りながら授業を進めることが求められている。100人を遙かに超える大人数教室の授業であっても、学生たちの発言を聞き取り、当意即妙に対応しなければならない。私は難聴者であるので補聴器を使用して授業に臨むが、補聴器は自然聴覚のような「聞き分け」能力がないため、拾われたあらゆる音が私の耳を襲う。その中から必要な情報、つまり講義の流れに沿った発言を選ぶ。その作業による精神的疲労はかなり強い。授業終了後は補聴器を外して聴覚を休めるが、しばらくの間、どのような音も聞こえてこない。
 補聴器はまだまだ未熟な補助器である。補聴器以外に手話法によるサポートがよく知られている。しかし私に例を取れば手話は未修得である。このような事情は私に固有なのではなく普遍的だと言っても過言ではない。そこで広まりつつあるのが、発話者の声をパソコンで速記しモニターに映し出して聴覚障害者が読む、というノートテイク法である。私の勤務校ではまだこのシステムはないが、幾つかの団体、機関で実施され始めている。視覚障害者がパソコンで入力された文字を音声変換ツールで聞くことができるのと同じように、聴覚障害者もそうした恩恵に与ることができるようになれば、授業内コミュニケーションも、さらに豊かな成果を生み出すことができると信じている昨今である。