再:モンテッソーリが「書き写した」ということについて

 2003年10月31日日記より
 再び、マリア・モンテッソーリセガンの1846年の大著を書き写したことについて。
モンテッソーリのこの作業を紹介する文では「一行一行書き写した」となっているが、モンテッソーリ自身の手になる文(仏訳版)では「一語一語書き写した」となっている。この差は大きいと感じる。モンテッソーリによれば「私はすべての言葉の意味を吟味し、著者の精神をよく理解するために書写をした」とある。印刷術がない時代ならともかく、活字印刷が当たり前の時代で、本をすべて、一字一句、書き写すという行為は、読み手が書き手を理解するための、もっとも重厚な行為である。