セガンとモンテッソーリ

 2003年7月7日の日記に、セガンとモンテッソーリをつなぐぼくの意識が綴られている。以下、その再現。「セガン」と初めて出会った頃の記録。自身の研究課題の発見に辛苦していた。
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 モンテッソーリは、セガンの700ページを超える大著『白痴児の精神療法、衛生学および教育』(1846年)を、学び、深く思考するために、書き写したという。我が国の庶民教育機関であった寺子屋は、「手習い」といったように、往来物(テキスト)を書き写すことによって総合的な知識を獲得する「書くことによる教育」をもっぱらとしていたが、その「手習い方式」をモンテッソーリに見るとは考えてもみなかった。ぼく自身も、中学生の頃は、テキストを書き写すことでさまざまな学習を深めた経験がある。そうした経験値からすれば、今日の教育の中に「書くこと」の地位がきわめて低いことを心配する。「読書百遍義自ずから通ず」というのは武家学習法。「書き写す」学習は我が国の伝統的な学習法であり庶民学習法。
 「書き写す」学習法はフレネ教育法にも導入されている。一般には、フレネ教育は、「発表」「表現」型教育法として着目されているが、テキストを書き写すことによる学習から出発したのがフレネ教育法なのだ。問題は、そのテキストが何であるのか、ということであろう。モンテッソーリは、セガンにそれを求めた。さすれば、ぼくは何に求めるべきだろう。大きな課題が残る。