浅草寺と泉岳寺

 今日の浅草仲見世通りには外国人の姿も幾組か見えた。少し人が戻りつつあるのだろうか。浅草寺境内もそれなりの人群れ。

 例年なら三社祭の大賑わいのはず。浅草神社の境内では囃子が響いていた。法被姿を見かけた。しかし、見学する人は少なく、「賑わい」というにはほど遠いだろう。

 雲行きも怪しくなってきたので、先週のリベンジ泉岳寺へと急ぐ。地下鉄・泉岳寺駅の改札を出ると、壁面に「赤穂義士」名が書かれた板が張られている。こうやってみると、知り尽くしている、というわけではない。ぼくが「赤穂義士」「赤穂浪士」として親しんできたのは、映画や文学。それがすべての情報源だからだ。一種の情報コントロール下にあった、というわけだ。

 そして泉岳寺へ。曹洞宗禅寺であり、「徳川家康公の建立」と、案内にある。

 「犠士」及び「浅野短気守長矩」及びその妻の墓所に到って、ようやく、記憶が蘇ってきた。さほど遠い年月の前ではなく墓参していたではないか。「なんだろう、この記憶の欠落は。いよいよ来たかな、例のヤツが。」そんな恐れの気持ちを吹き飛ばそうと、しっかりと大石内蔵助良雄の墓碑に並んで記念写真を。

 泉岳寺境内に筆塚を見いだす。新しい石のようだから、江戸期庶民の学習の跡とは縁がないのかもしれないが、記念に撮影。

 境内の茶屋で甘酒をいただいている内に強い雨になる。やむ様子がないので泉岳寺とお別れをすることにした。門前で、若者が老婦人に「傘をどうぞ。ぼくはすぐそばですから。」と声をかけ、持っている傘を婦人に渡していた。若者と老婦人とは初対面の様子。なかなか感動的な光景でした。