啓蒙ということ

 暗闇を明るくする。「暗闇」とは端的に言えば神の摂理の世界。その世界を打ち壊し新しい摂理を照射する。新しい摂理とは近代主義、理性に基づく合理主義。
 はてさて、このように板書すればみんなノートに写しとり、試験をすると言えばそれをペーパーに吐き出す。これは、「理性に基づく合理主義」のなせる技なりや、否や。「鵜呑み」「鵜吐き」は「啓蒙」に有効であるはずはない。有害以外の何ものでもない。
 こんなことを反問する今日の授業内容と近づく前期試験。
○「教育基礎」(来週から交代故、今日が最後の回)授業終了後、「ありがとうございました。もっと聞きたかったです。」とわざわざ言ってくれた学生が少なからず。よかったと素直に思う。
○ある臨時設置部署にアルバイトに来て下さっているご婦人の勤務終了時間が午後4時。ぼくの「教育基礎」は午後4時20分から。そこでご婦人に「本学の授業がどのようなものか、学生がどのような聴講姿勢であるか等、ご関心がおありでしたら、一度授業を覗いてみませんか。」とお誘いしていたが、今日、ご参加下さった。定員200人余教室びっしりの様子にまずびっくりされていたようだが、授業後の感想は「難しくて居眠りしてしまうかと思っていましたけれど、眠ることなくお聞きしていました。」とにこやかな笑みを見せて下さった。
−①日本人はヨーロッパ人が言うように本当に無知蒙昧か。その種明かし(前時の復習)、②日本社会で使われる漢語はその誕生等に歴史的関係がある=例示:「自由」の多義性(「自由の履き違え」と言うことこそ概念の成立や使用過程を無視した履き違えである)、③明治啓蒙思想の「合理主義」と「教育勅語」の神秘主義の「両立」の日本近代学校史(=知の大量分配と選別ならびに統制・画一)、④「教育は人格の完成を目指す」(「教」の原義の事実変革史が毎時の講義の組み立て、それを概念化すると「教育基本法」に言う「教育の目的」となる)=これまでの講義の一貫したテーマ。
 こんな内容が織り込まれていた。
○「お声に張りがあり、また滑舌がよく、講義も分かるようにかみ砕いてお話になり、楽しかったですわ。」
 「その前の授業から立ちっぱなしで、お口を湿らせることも、おトイレもなさらず、大学の先生って、大変ですね。」
−社会的評価がぐんぐん低まっている大学教師の悪戦苦闘の実態をご覧いただきました。
○「お話に聞き入っている前の方の学生、とにかく座っているだけの気の抜けている後ろの方の学生、時々先生から注意を受けている学生(「髪の毛を梳いているけど、今からデートの準備かしら?」などのこと)、寝ている学生…色んな学生がいますね。大変です、先生も。」
−いや、ご婦人、教室の様子をよくご覧になっておられた。
 今度はグループ活動を取り入れている授業もご覧いただこうかしら。ご婦人の社会人としてのご経験からすれば、彼らの「議論」と称するおしゃべりがどれほどの質のものと理解されることでしょうか。