続々オーソドックスとは何ぞや―ヴァガボン漂流記

 清水寛先生から大学院生時代に厳しくご指導いただいたことに尽きるのですが、「先人の歩いた道を重ね歩き、新たな道を見出す」ということ。先の方は比較的可能なことですが、後者の方は思うようにはまいりません。ですが、先人とは違った目線で見る、違った行動をすることを心がけました。心がけるというよりは、日常の生活スタイルをそのようにする、ということに尽きると思います。自らを「ヴァガボン」(放浪者)と言い表し、時には街角に佇む物乞いと見間違えられることを喜ぶ。「セガン」というまったく無知の世界に入り込むために、私にとって「ヴァガボン」であることはどうしても必要なことであったし、これからもそうであろうと、思っております。
 あと一つ、これは何故、今、私がセガンにこだわるのか、ということに関わるのですが、私が研究のフィールドとしてきましたのはいわゆる近代教育史であります。生活綴方、ホール・ランゲージ、フレネ教育、パリ・コミューンの教育がその具体であります。これらは人権としての「教育を受ける権利」の整備・拡充過程の中にあるものばかりです。しかし私がこだわってきたことは『世界人権宣言』にある「教育への権利」についてでした。「受ける」という「所与」の教育ばかりではなく、「学習の主体」の権利のための教育、自己発達のための教育ということです。先に挙げたのは、それに適うものであります。そこにエドゥアール・セガンが新たに入り込んできたという強い実感と喜びを覚えております。
 歴史を対象にする時に、その時々の時代的要請から、あるいは時代を切り開くためでもありますが、歴史の一断面をえぐり取り、それを本質として論理化する、ということはままあります。ヴァガボンは、自身が「学習の主体」でありますので、時にはそうした歴史観に強く違和感を持ちます。その違和感を大切にしていきたい、それが私の方法論であります。例えば、パリ・コミューンは近代的な人権を本格的に提案した一大運動でありましたけれど、その提案した当事者が、人権を提案したまさにその日に、パリ・コミューン体制に敵対する新聞を発行禁止処分にするなどの事実があります。この後者が語られてこなかった近代史に違和感を持たせてくれたのもヴァガボンであります。これから先は、この違和感を論理化し構造化する作業があると思っております。「教育への権利」を高らかに謳うために。(2005年7月2日)