「セガン家」家系かなり判明

 エドゥアール・セガンの生誕の地ニエヴル県クラムシー科学文化協会(SSAC)にFamille Seguin Essai généalogique (「セガン家 家系図試作」)という手書き文書が保管されている(蔵書番号 SSAC1J63)。作成者はギ・ティエイエ(Guy Thuillier)というニエヴル県が生んだ史家。ティエイエは、長年の努力を傾け、17世紀以降のセガン家の戸籍原簿を総当たりし調査を進めてきている。未だ完成ならず、だという。
 無数に枝分かれをした家系図の、しかもフランス筆記体の人名の中には、我らが主人公のOnezime-Edouard Seguinの名を見出すことはできない。しかしながら、Jacque Onezime Séguin 16/2 1781−3/5 1871 Dr en médicine à Clamecy. ép Marguerite Maurice Uzanne という記述の中に、我らが主人公の縁をはっきりと見出すことができる。「ジャック・オネジム・セガン1781.2.16.−1871.3.5. クラムシーの医学博士。配偶者マルゲリット・ムーリス・ユザンヌ」という記述内容だ。この記述の戸籍上の信憑性の検討は別の機会に譲るとして、ジャック・オネジム・セガンが我が主人公セガンの父親の名前であることを、すでに我々は知っているので、父親の出自をセガ家系図で探ってみよう。ただし、人名・地名等は基本的に日本語読みに置き換える。
 ジャック・オネジムには11人の兄姉がいる。家系図によれば他のセガン家も子だくさん。多くの子どもを育て上げるのは大変ではなかったのだろうか、資産があれば、乳母を雇い、しつけ係(家庭教師)を雇い、あるいは他家に子どもを預けて養育費を支払う、ということで問題解決を図ったのだろうが、はたして実際はどうだったのだろうか、などと考えてしまうが、家系図に戻ろう。
 12人の子どもをもうけたのはフランソワ・セガンとマリ・テレーズ・ギマール夫妻であった。フランソワ・セガンの名前には「クーランジュ」の地名が添えられている。フランソワ・セガンには6人の兄姉がいる。その両親すなわち主人公セガンの曾祖父母の居住地は「プロヴァンシー」というところである。クーランジュ(パリまで174キロ) もプロヴァンシー(パリまで190キロ)もヨンヌ県内の地名であるが、現在、前者は241人(1909年発表統計では394人)、後者は563人(同766人)の住民数のきわめて小規模の自治体である。父親ジャック・オネジムが分家・入植したニエヴル県クラムシー(パリまで180キロ)の現在住民数は4674人(1881年統計5432人)である。
 この家系図から見られることは、我らが主人公のセガンは、我が国風に言えば、分家の分家の分家の医者の小せがれ、となる。セガン史で語られてきた「代々が地元の名家の医者家系」というのは、作り話だと言わざるを得ない。