第1講終了

 今日から秋学期。「生徒指導の研究C」。「生徒指導と言わずに生活指導とする。理由は生徒指導は行政用語、生活指導は実践用語。もっともその概念の出発は、という前提が付くけど。」 板書をしないので苦労する学生(参加の身が持たない)もいれば、聞き耳を立て表情でコメントをする学生もいる。90人ほど。1。学校という「囲い込み」があり、その「囲い込み」が形成する人間性への過剰適応が「生徒指導」の問題性として浮かび上がる現実をどうするか、という大上段に構えた問題提起。2.「言語性」(身体性を喪失し、理性ではない記号性に成り下がった指導語という現実。3.「教師に権威がない日本」と「教師の権威が強いフランス」という問題。その他色々。予定テキストはほんの5分程度。ちゃんと「訓育」の話をコアにしております。「相田みつをは嫌いだ」の言葉に反応した学生数人。ぼくの言いたいこと「ぼくがぼくであっていいんだという安心の向こうをどう展望させるかという教育の本質は預けられているからね。」をちゃんと受け止めていた。