寒いが頭はカッカッカ

 まるで初冬の今朝。太陽が出ていても寒い。ネコたちもすっかり冬構え。
 昨日の講義の総括をかねて講義通信を作成。通信といっても学生が提出した感想・意見・つぶやき等だけで構成される。公開拒否の声もあるが、ほぼ90名分、すべて入力する。第1号記念号として。
 イヤー、体罰肯定派が多い。そんなに人を殴ったり立たせたりしたいのかね、と思う。つまり、教師や親が絶対的存在であると信じたい気持ちは分かりたいけど、宗教的一元化もなく文明的一元化もない現代社会の中で、本当に教師や親が絶対的存在であり得ると信じることこそ狂信的だと一度は考えてもらいたいと思うけどな。子どもの権利条約基本的人権という社会の公約などまったく眼中にない連中が親となり教師と成り行く今の若者を取り巻く精神的知的状態(痴呆的状態)から、どう「啓蒙」し、社会公約の実践主体にしていくのか、今期もまた、頭が痛いのです。講義通信のタイトル「北1-308教室 耳を澄まそう 自分に他者にペーパーに」。
 毎年毎学期教室に通う学生の顔も姿も心も変わることを前提にしているから―当然ぼくの姿も心も変わっていく―、有名で自らも誇らしげな、教職について以来今日まで数十年間、学級通信テーマを同一にし、バックナンバーを通算する、ついでに毎度毎度のクラス歌を追加していく―通して歌える人は一人もいないと恐縮ながら拝察いたします―というようなことはいたしません。毎年毎学期、常に第1号から始まります。そして第10号ほどで結びになります。
 ちなみに、昨年の対象クラスは、初期は「生徒指導の研究講義通信」という単なる記号、やがて「窓を開ければ」というタイトルに変えた。一人ひとりが群れている状態から、通信やディスカッションを繰り返していく中で、一人ひとりが心を通わせたいという欲求を出し始めたので、心の窓を開けましょう、というぼくの呼びかけであった。そしてそのようなクラスとして成長していった。もちろん、最初から最後まで、「センセなんかキラヒですっ」という存在もあります、かわいいね。
 昨日出会ったクラスはどう育っていくことだろうか。