「嫌になったらやめる」

 あさから、昨日の講義の「感想・意見その他」の入力作業。他の講義ではメールで提出(もちろんこちらも任意)を取り入れ、入力作業負担を軽減しようともくろんだが、その目論見は、やはり見破られているのだろう、メール提出はほとんどない。リアルタイムであることはやはり有意である。「時間差攻撃」などはスポーツ競技で留めておくことだ。
 今は鉄筆を持つことなく、キーボードをたたいているが、「生活綴方」の本質に変わりはない。「書き綴る」という作業の中に書き手と読み手のとの関係性が強まることの意義は明確である。来週配布する講義通信「耳を澄まそう」の後記にこう書いた。
「先生のように、学生(生徒)の声を聞き入れ、それらに対して丁寧にコメントを返して下さる機会(講義通信)のある講義はなかなかないので、自分と先生と周りの他者との意見・考えの共有ができて、とても有意義です。」とか、「“耳を澄まそう”を読むのはとても勉強になります。まとめることは大変だと思いますが、がんばって下さい。」とかのエールをいただきました。ありがとう。楽しんで作業しています。でも、負担感が強まってきたらやめることにします。「嫌になったらやめる」はぼくのモットーなのだ。」
 きっと学生たちは、「どうしていつもいつもこいつは、俺たちの中に強くあるモラリティをぶちこわすようなことをするのだ。嫌になったらやめる??俺たちがこれまで生きてきた中でそんなことを言う人は誰もいなかったぞ。」と煩悶することだろう。イヤ、煩悶をして欲しい。ガンバリズムでどれほどの若い人のエネルギーが摩耗させられ、魂が奪われてしまったことか。そういうことへも意識を向けて欲しいのだ。