外は爽やかな風が・・?

jittyan2011-10-07

 窓外に覗くケヤキの梢がわさわさと揺れている。ほどよい風が吹いているのだろうか。
 雲一つ無い天気。
 午睡にもっとも適した気候。
 が、ぼくは、喋りながら立って眠るという軽業はできない。
 そこの学生、気持ち良さそーだねー。
          オレも寝てーよー。
*** そろそろ勝負を始めよう。
 4限、生徒指導の研究、約70名。内1名熟睡。あんれ、寝てんの少ねーでね―の。今日の授業は睡眠薬ではなく、気付け剤になったかいの。
①授業終了後に提出される「感想、意見等」(世間ではこじゃれた言い方リアクションペーパー。学生はコメントペーパーと呼ぶ。オンラ、この方法を導入して30数年、そんな言い方絶対にせんぞな。だってよ、次の週の貴重な教材になるんだス。)に、書き手を特定することが出来る氏名が書かれていないのがきわめて多い。「コミュニケーションツールなのに、名前が書かれていないのでは、勝手にほざいていると理解し、教材に扱いません。」 これは学生たちに刺激になったようで、今日の「感想、意見等」に氏名を書かなかった者4名、すべて男の字。かわいいね―。反抗期かしらね。
②「批判的関係もなくなれ合っている、連れ合っているだけで、それを生涯の友と呼び、恩師と呼ぶ。気持ち悪いッス。」 これもまた刺激を与えたようだ。
③「幼態成熟とはルソーの言葉パーフェクテビリテの訳語。川口はよく使うが、それは、人間は死ぬまで自らを変えていく生物だ、ということ。他の生物は成長発達がとまっだ段階で大人という。教育の世界では、人間を「発達可能体」だと言い、「どの子も発達する、教師も発達し続ける、ただし、自分以外の他者との関係性の中で。同質の者同士のつるみでは発達はのろいか停滞する。
④3との関係性で、中・高の教師が教育対象とする「思春期」は、まさに「発達の可能性」が顕著に見られる特徴を持つ。「発達の可能性」は矛盾の塊。その矛盾に寄り添うプロの教師でありたい。一刀両断、賞罰主義はそのまるで反対。 これもまた強い刺激を与えた。
 ある声。
「何故名前を書かない人がいるのか、理解できません。別に書いた内容によっては成績を下げます、などと言っているわけでもあるまいし。そもそも、先生がコメントペーパーで我々の意見を拾って下さり、それをさらに講義通信にして下さるというのに、それに参加しないのは、とてももったいないことだ、と私は思います。
 他者と向き合うことは怖いです。今までの自分を否定されるのが怖いから。他者を理解し、受け止めること。いけないことはいけないとし、さらに、成長の手助けをする、支えること。人を育てることは難しいことだなと、いつも痛感します。
 自分という者に自信がなければ、教師は務まらない気がします。自分って一体何なのかと、毎日悩み続けている私にとっては、なかなかきついことです。おなかが痛くなってきてしまいました…。」
 最後まで残って書いていた学生。提出の際ちらっと読み、「教師は生徒と学びながら成長するよ。完全性はいらない。」と声をかけたら、にこっと笑って、「来週!またです。」と元気に教室を出て行った。矛盾を抱え込み、矛盾の重さに喘ぎながら、明日を見ようとしている若者の姿を見た。