授業のテキストは何か

 「授業のテキスト、つまり、このクラスで学ぶ対象・素材は、指定教材+プリント等文書テキスト、教師のレクチャー(声)テキスト、そしてこのクラスの受講生の声・感想等テキスト。以上三つがこのクラスのテキストだ、とは授業出発時に言っている。にもかかわらず受講生の声・感想等テキストは提出が皆無状態。ということは文書テキストの内学生の声を中心にしてつくる講義通信プリントテキストはない。それが今のこのクラスの実態。だから、最初に申し渡したことを今ぼくは撤回し、新しいやり方に身を委ねる。それは君たちが決めて欲しい。」
 いわゆる学級会となった。散々「脅した」あげくに司会と書記が決まり、彼らの進行によって学級会が開かれた。話し合い(意見発表)を聞いていても、「感想等を時間外に書くのは面倒」だの「未熟な考えだから書けない」だのの「数列」。「やり方は今まで通りでいい」と言うのだけれど、自分が主体的になることはやだ、誰かやってくれるのならそれに乗っかりましょう、という「意識」のまま。授業改善はほど遠いと痛感した。しかし、来週からは、今よりは前向きの学生の姿が多くなることは、期待してみなきゃいけないかな、とは思う今。例年、この時期、爆弾が炸裂。もう嫌だ!
 「サロン・ド・ラ・ヴィ」 女子学生とぼくだけ。あぶねーなー、とは外の世界が思うだろう。なにせ「研究室に異性学生を入れてはならない」という弁護士助言がなされる大学もあるとかのご時世だから。
 それはともかく、女子学生が、自作の詩と高校の時の教師から教わった詩とを携えてきた。教師から教わった詩は、なんと、深澤義旻先生の「人間のうた」。深澤先生には日生連国語部会で鍛えられた。外から見れば「ケンカ別れ」のように見えるだろうが、ぼくからすれば異質な精神世界の深い交わりがあった。懐かしい。先生は1990年に亡くなられている。「人間のうた」は亡くなられる直前に発表されたものだ。学生と学びあいたい詩でもある。