馬鹿鶴語録

 「生徒指導の研究B」、ならびに「総合基礎科目・現代学入門 知的障害者、愛と性」。「生徒指導の研究B」は穏やかにグループワーク。「担任の言葉」8題の内1題を選び、「これはちょっとなあ」続いて「これはええヤン」を討議。発達と教育(学習)にふさわしい「言語」創造能力を習得させる狙い。賑やかな活動。
 「総合基礎科目・現代学入門」は「愛と性」を今年度の総合タイトルとし、今回はぼくが「知的障害者」を枕にして語る。この個別テーマは事前に学生たちに知らされていないので、彼らは、今日はじめて耳にしたことになる。届け出の受講生総数約300。今日の出席状況180(目視)。出席表の数を数えたら・・・・・!!!。
 昨年ほどには拒否反応は強くなく、概ね「受け入れ」ていた。しかしなぁ、「もののけ姫」の世界を「事実」だとする学生が少なくないのには驚いた(「アマラとカマラ」を話題にして、「オオカミ」の「乳」で人間は生命を保ち育つことは不可能です」としたことに対する反応)。中には犬が小鳥を育てる、というのをテレビで見た、と言ってぼくの話題を完全否定している。ぼく以上に耳悪いんじゃないの?君たち。「育てる」話題ではなく、「生命体として育つ」という話題なんだけどな。その後、生命体として育ったとしても、人間的文化環境に置かれなければ、そのヒト種は「人間」になりにくい。
 学生の「感想」(出席表)に「素敵だ」と書かれた鶴語録(そのままではないけれど)の幾つか。
○「知的障害の人たちも、私たちと同じように過ごしている、リズムが遅いなど違うだけで。」
○「人間の基本的な欲求は障害の有無に関わらない。」
○「きちんとした環境の元で生活をすれば、人間らしいふる舞ができるようになる。」
○「人間社会から外された子どもは生きながらえても人間的な生き方はできない。」
○「怖いという気持ちは対象がよく分からないことから起きる感情。」
○「教育によって人間は成長・発達する。」
○「知的障害の問題は教育除外史と多く被さる。」
 これらの声の底に流れているのは、彼ら自身の「対他関係」への枯渇の感情であろう。
☆それにしても代筆が多い。代弁ならぬ代筆ね。声色は変えられるが筆跡は変えられないってこと、キャツらは知らない。