パリ、ある日ある時の「発見」

○HP「川口幸宏の教育の旅」扉写真変更ブルターニュ地方レンヌ。中世の遺跡。ご覧下さい。
○「・・・・(パリ右岸の)サントノレ通りのラーメンの店はいずれも満員。食べたいような食べなくてもいいような。この通りには日本料理の店がいくつかある。ウナギの店などは入りたくもないな。・・・と、意外なモノを発見。

 オランプ・ド・グージュの歴史標識なのだ。この建物に住んでいたのだろうか。標識内容はオランプの生誕から処刑に至る略史と彼女の歴史的業績である。この類の標識で見慣れた「○○はここで○○をした」という文言がない。サントノレ通り270。意外な発見に、今日のそぞろ歩きの、結果的ビッグ・イベントして位置づけたのである。」(2007年9月5日日記より)
 歴史標識の逐語訳出は未だしていない。せっかくの機会だから、彼女をさらに深く理解しようと思う。
 この旅で、オランプ・ド・グージュが処刑前に隠れ住んだ街区に行き逢ったことが印象深い。日記に次のように綴った。
フランス革命期は歴史的大河である民主主義に牙を剥くこともあった。その犠牲者の二人、男と女、教育と演劇。共通項は女性の政治参加と奴隷解放の提唱。平和と民主主義の切望。その名はコンドルセとオランプ・ド・グージュ。二人は追われ隠れ住んだ。なんと、革命政府が凶刃をふるったパリ左岸のサン=シュルピス教会のすぐ近くの界隈サルヴァンドニ通り。通りを挟んで、共同住宅の壁にそれぞれの顕彰パネルが張られている。ちなみにサルヴァンドニはイタリア人建築家、サン=シュルピス教会ファサードの作成者である。/道のつきあたりはサン=シュルピス教会側壁。二人は脇腹に平等というドスを突き立てた?」(2007年9月9日)