よく出来ました

jittyan2011-12-16

 今年最後の授業、終了時、拍手が起こった。嬉しいな。馬鹿鶴、「よくできました」印に薔薇のマークをノートに残します。
 今日は学生が綴った「自分史」の中から幾編かを、綴り手自身の音読によって学びあった。それぞれの人格のコアとなっている「自分史」を学びあうことによって、「匿名的存在」を脱し「実名的存在」として他者コミュニケーションを取る。社会一般や開放的空間の中では「匿名」にも意味があるだろうが、学校教育とりわけ教室という物理的人的閉鎖空間での「匿名的存在」は他者に恐怖的な存在になりかねない。教員養成の場であるからこそ、このことの意味するところを、実践的に学んで欲しいと思って半年間プログラムをしてきた。9割以上が匿名で声(ぼくの大嫌いな言い方で言えばリアクションペーパー。誰だ、こんな無人格な命名をしたのは)を出すことに居座っていたが、10回を超える授業で「匿名」であることの不自由さを語りはじめ、やがて、「自分とは何ものになってきたのか、そして何ものになり得るのか」を他者に語るようになった―その語りは「回答」を求めるものではなく、語りを受けとめてもらえる喜びの中から、他者理解を進めることにつながっていく。
 どんな自分史が語られたかって?いや、それはここには綴るまい。興味本位も同情・哀れみもすべてを不要とする「自分史」の学びあい。だからこそ、授業の終わりを告げた時、そんな学び合いをした教室のすべての者に対する敬愛の拍手を送り合ったのだから。
 池袋の「いけふくろう」さんが控えめな光の化粧で微笑んでいた。