続何もしなかった
終日、寒さに震えていた。暖房を入れたつもりだったけれど、入れていなかった。「つもり」と「した」とは大違いであることを学習した。だから、何もしなかったというのは、厳密に言えば、違う。「学習した」のだから。
「セガン研究報」、明日明後日に印刷屋に渡すために、再再度校正。ぼくの責任となるところは1カ所修正、寄稿者の原稿ミスが幾つかあったが手を入れるわけにはいかないと放置してきたが、やはり編者責任校正という観点から手を入れる。書名原典の名前間違い、翻訳間違い等々。一つの事例:enfantとenfanceとの区別がおできになっていないのは、やはり赤入れをすべきだと判断した。前者は「子ども」、後者は「揺籃期」。揺籃期は人間を説明する言葉であるとしたら「子ども」でもかまわないけれど(辞義にもある)、そうではない、時代的な物言いだから、やはり「揺籃期」がふさわしい。
HP「川口幸宏の教育の旅」に、引き続き、旧作アップ。「ジンジャー歳末年始記」 「「たびねこ恋慕」