セガン研究報

 午後、セガン研究報の印刷データを業者に渡した。もうぼくが手を入れることができない。出来上がりが楽しみだが、ミスがないことを祈る。紙質はかなりいいのを選んでくれるようだ。カラー印刷ですから、とは業者の言い分。考えていなかった背文字を入れることになった。誌名を入れず、セガン生誕200周年記念と入れた。やっぱりまずいかなぁ。
 夕刻から自主ゼミ合同忘年会。といっても、ぼくらの世代で言う茶話会。研究室にて。賑やかな語りに耳を傾けよう。
 先日来からいただいているメールは、ホール・ランゲージに傾いてきている。ぼくの教育学の小さな小さな原点だ。感慨深いものがある。どのように言語化されるのだろうか。
 メールの主からぼくの大学院生時代の論文がネットで閲覧できることを教えられた。恥ずかしながら閲覧をした。うーん、としか言えないな。一応学会紀要論文だわさ。執筆したこと、掲載されたことをすっかり忘れてたわい。論題「百田宗治と生活綴方運動」、1975年の「国語科教育」誌(全国大学国語教育学会)。これを発表した翌年4月からぼくは「国語教育」の世界では生きることがなくなったのだったな。