「シラバス」

 来年度の授業のシラバス作成。年々、細かい指示が降りてくる。そして、益々苛立ちが増えてくる。毎回の授業内容柱が異なるように記述せよ。つまり、「討議その2」とか「調査その3」とかはダメだとのこと。大学評価機構は本当に大学教育が分かっていらっしゃるのかしら?例題「私は人間ではない。」 これを演習素材とする。ここから導かれる可能性のある哲学・思想・歴史等々を明らかにする。これを演習内容・課題とする。討議は、当然のこと、ねじれつつ、飛躍しつつ、戻りっ、行きつ、曲がりつ、すっ飛びつつ…することによって、豊かな哲学を導く可能性が大きくなる。それを、第1回討議ではねじれを、第2回討議ではすっとびを・・・・、なんて整然と区分し展開するなんて、ありえないでしょう。
 こういう人文主義は、今、日本の大学でいらない、切り捨てだ、というのでしょうか。そうなんでしょうね。生産性がない、計画性がない、無駄が多い・・という反「超モダンタイムズ」主義にはぜったい価値を認めない。生産性を高めよ、計画を緻密にせよ、無駄を一切出すな、競争力を高めよ…そんなの「大学」じゃない。
 いらいらしつつ、何とか帳尻を合わせておかなければ、後刻書類が突き返されて、お上のお気に入りになるまで書き直しを命じられるのだから。
 大学は死につつあります。機械的な観念の生産工場、そうまさしく上田庄三郎が厳しく批判した「観念工場」家屋が整然と並び立ち、金のある工場は金ぴかに屋根が磨かれる、そういう時代に今まさに突入しつつあるのです。