新しい感慨

○昨日の日記に、S先生からいただいた拙著の原著に対する批評について綴ったが、今日もまたS先生からいただいたご批評を綴ることになった。昨年末『セガン研究報』セガン生誕200周年記念号をお送りしてあったが、今日いただいたメールに次のようなご感想が綴られていた。
「先日は『セガン生誕200周年記念』の研究報お送り頂きありがとうございました。ゆっくり読み返し読了。先生の「研究ノート 旅路」をはじめ写真が十分に活用された若手の論考など実に感じ入りました。(Tさん、よかったね。大教育学者からのお褒めですよ。)
 先のセガン研究本と合わせて味わうと境界をこえて通用する研究の醍醐味と方法に触れる思いです。いってみれば、地球のぬくもりと、地域の歴史の移りゆく姿、その中に生きるセガンと川口幸宏の生き方と感慨が随所に活写されています。
 建築への視点が重要な cue となっているのに特に共感します。」
 最後の一文に胸がじーんとなった。日本にいてはぜったいに味わうことができない歴史感覚を、ぼくは2000年にパリ入りして、皮膚感覚に染み付けることができた―このことは『う゛ぁがぼん漂流記』の中に綴ってある―。毎年出かけてパリやその他の都市を放浪するのは、まさにこの皮膚感覚をさらに大きくするためであったと言っても過ぎることではない。それがぼくのフィールドワークのコア。そのことをS先生は評価して下さっているわけだ。ありがたい大先達。S先生に導かれ生活綴方、ホールランゲージの世界をさまよった。それらの日々に培うことができたベーシックなものの周辺にパリ(パリ・コミューン、セガン)が付着してきたというべきだろう。ぼくの研究は、一見さんが言うのに従えば、一体何を研究する人だ?あれこれ手を付けるだけだ、ということなのだが、確かに対象をあれこれ違えてそれぞれを深めることはないのだが、興味・関心と方法論とは一貫している。
丸善の書籍部からセガンとモンテッソーリに関する欧文の博士論文一覧の提供を受けた。『セガン研究報』を差し上げていたことから。まことにありがたいことです。セガン関係は4編。うち2編は既知のもの。他はアメリカ時代研究。シラキューズ時代を対象化した博士論文以外を注文した。モンテッソーリは50数編。ぼくには必要がないけれど、Tさんには必要かもしれない。
○「文化化と文明化」をホームページ川口幸宏の教育の旅にアップ。映画「野性の少年」(トリュフォー主演監督)論。また、ホームページのトップページ左サイト上に「新着情報」欄を設定。