コラムエッセイ・ジャマイカ・・・

 「メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域カリブ海に浮かぶ島国、日本の秋田県ほどの面積の国土を持つ人口250万ほどの小国ジャマイカイギリス連邦を構成する立憲君主国である。国王はエリザベス女王。ジャマイカの北方は、水深7684mのケイマン海溝を挟んでキューバ共和国となる。この国を、2002年、2005年そして2009年の3回、それぞれ10日間ほどの短期の滞在ではあるが訪問し、教育調査を手がけた。以下の報告は、特に2009年12月に滞在した折の記録である。概括にさえ及んでいないが、お許し願いたい。
 ”Jamaica: Citizenship and Government”(中等教育用社会科教科書)によればジャマイカの現在は多人種で構成されている、とある。ヨーロッパ系、アフリカ系、東インド系、中国系、その他の人種が例示されている。これらの中でもAfro-Jamaicanと称されるアフリカ系黒人が人口のおよそ80%を占めていることを失念してはならないだろう。そのほとんどがヨーロッパによる労働奴隷として売買され、この島に強制移住させられた先祖を持っている。ちなみに奴隷制度下にあった18世紀後半には約2万人のヨーロッパ人に対して約30万人の黒人奴隷がいたという。そして、黒人奴隷たちは、アフリカンとしての言語使用は禁じられ、15世紀末からスペイン語、続いて17世紀半ばからの300年ほど英語の会話能力を強いられ続けてきた。言葉を換えて言えば、ジャマイカの人口マジョリティのAfro-Jamaicanは、ヨーロッパ文化に隷属させられてきたわけである。
 だが、その長い歴史の中で、彼らは、独自な文化を形成することがなかったのだろうか。そんな稚拙な「問い」を私は持ち続けてきた。支配文化を自身にオリジナルな文化に変容することはなかったのだろうか。
 ふとしたきっかけでAfro-Jamaicanに固有の生活語(Jamaica TalkあるいはJamaican Patois))の文字化の活動があることを知り、それらの活動が学校教育と結びついているのか否かの問題を中心にした教育研究を進めたいと願っていた。3度のジャマイカ訪問の主たる目的はこのようなところにあった。残念ながら、今のところ、この目的は果たせていない。しかし、国家として独立したのが1962年と非常に歴史が浅いということが子どもの生活や教育にさまざまな問題を浮かび上がらせているという事実を知るにつけ、私たちが歩んできた生活・教育の道を今一度振り返ることに資することが大いに可能であると、今は確信している。」
 ・・・と、こんなところが第一回。