授業準備&学位論文届く

○明日の社会事業大学第1回の授業準備。完全無発話の聴覚障害学生が受講していることもあり、当該学生への文字情報提供を意識して授業レジメを作成。プラス、『パリ20区 僕たちのクラス』を視聴しディスカッションをする予定なので、そのための補助資料作成。
 *レジメ
授業者(川口幸宏講師)の授業への目線(自己紹介)
1.「教育の可能性とは何か。」 「価値観の多様な実践社会」の中での「教育の可能性とは何か、その方法はどのように拓くのか」、そんなことを一緒に考えたい。観念論ではなく、情緒主義でもなく。
2.価値観の多様な実践社会」に迫るためにまずは「自分」の外に出る。「自分」とは、?川口幸宏であり、?川口幸宏と共生する家族であり、?川口幸宏が日常生活する場・空間であり、?川口幸宏がこれまで生きてきたなかで直接的具体的に生きてきたすべて。?〜?は、ほとんどが、価値観を一元化することが可能であり、だからこそ、安心感を持つことができる。「自分以外の他者」と言っても所詮は、言語は共同しているし、所作・文化も共通している。つまり、他者理解のための文化を共有している存在。「異文化社会」に出て、「自分以外の他者」と感じている日常性が、じつは「同文化圏社会」であることに気づかされた。
(1)「国際化」の時代だと言うとき、「自分」から出て行くことを意味し、出て行った先でいか   に適応できるか、がしきりに議論され、教育のカリキュラムも考えられている。川口幸宏はそれが言いたいのか?この授業でそれをやりたいのか?この問題については、教育実践や研究の積み重ねがあるので、改めて論じる必要は無い。
3.「自分」の中に入ってくる「異文化」の問題。果たして共生できるか。一時の「間借り」と永続の「共生」とは質がまるで異なる。言葉を換えれば、(2)内なる「国際化」の問題。さほど遠くない日本社会は、出入りが激しい「国際化」=観光等一時的な現象=では無く、例えば「移民」など定住外国人が「普通の社会環境」を形成する「国際化」が進むであろう。学校も同じである。
4.3.の先例を知り、教育・学校問題としてどう捉えるか、教育方法の可能性はどのようなものなのかを考える。マジョリティによるマイノリティ支配で過ごしてきた人類の歴史はそろそろ書き換えられなくてはならない。
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○注文していた博士論文が丸善より届けられた。
1.The Montessori Method's Usae of Seguin's Three-Period Lesson and Its Impact on the Book Choices and Word Learning of Students whoa are Deaf or Hard of Hearing (Rebecca L. W. Jackson. 2011)
2. Reasoning About Mental Retardation: A Study Of The American assosiation on Mental Defficient (James W. Trent. 1982)
3.EDOUARD SEGUIN: A Study of an educational Approach to the treatment of mentally deffective children. (Mable Ekaine Talbot. 1963)