手紙

KO様
 大学院生が大学他で教える機会が大いにありますから(可能性を含めて)、「先生」という尊称を付与されることを否定するわけではありませんが、他ならぬ当事者がその尊称を止めて欲しいと言われるのならば止めるのが健康的な社会関係であるという原点に立ち戻って「様」という尊称でこのメールを綴り出します。少々長く、くどくなることをお許し下さい。
 「自業自得」という言葉のもつ「暴力性」をO様がご存じでないはずはないと私は確信しております。他ならぬ「ことば」をあらゆる教育活動のコアに据えて進めるWhole Languageの研究を進めておられるからです。私は「生活綴方研究者」ーおまえのは研究などというところに行き着いていないと批判されようとーとして自覚しておりますので、自己語りだけではなく対他コミュニケーションの道具としても世界認識と実践の道具としても位置づけられることばの「暴力性」(その逆の「親和性」も含めて)という「内質」(私の造語です)にはどれほど神経を使いすぎても使いすぎることはないと、考えてきております。Whole Lannguage研究を進めておられるO様もこのことを当然の前提としておられるであろうと信頼してコミュニケーションを取らせていただいております。しかし、「自業自得」ということばの内質は、「ちょっときつい言い方」にはとどまらない、破壊的暴力性を有するものです。O様からいただいたメールでは私の行為のバックグラウンドを知らないで「自業自得」ということばを用いた、と言っておられると理解できる内容が綴られておりますが、それに対しても私は違和感を覚えます。自分自身の諸行為を自省する意味で自分自身に対して「自業自得」と言うことは何らとがめられることではありませんが、他者にそれが向けられた時にはそういうことにはなりません。
 ところで、「自業自得」と評された「大学という教育機関での土曜日午後の授業」について、少していねいに説明させていただきます。ちょっとあれこれ話題が挟まりますがご寛容下さい。
 その大学の授業とはN大学の教職科目「教育方法研究」です。いずれの大学の実情も同じですが、授業開講の曜日時限はまずいわゆる専攻・専修の専門科目、そして共通教養などの必須科目が優先的に割り当てられます。教職科目など免許科目は「空きコマ」を割り振られます。大きな大学ですと教室もたくさんありますが、N大学のような小規模大学は教室の数は、大げさに言えば、足りないほどです。「教育方法研究」に対して大学(教務)は「前期水曜朝1」あるいは「前期金曜朝1」を当初案として提示してきました(「集中講義」形式は不可)。我が家からN大学に通うには最低でも2時間半は見ておかなければなりません。本務校での授業は午後から開講しておりますのでN大学で授業を終えて本務校に行くには何ら支障はないのですが、いかんせん、朝8時半からの授業に間に合わせるには我が家を朝6時に出なければなりません。「宿泊する施設あるいはホテルをご用意いただけるのなら可能です」と答えたのですが、川口の負担でそうするのは自由だ、という回答でした。時給になおすとわずか×000円のためにホテル代数千円を負担するほど金銭的に余裕がありませんから、その案は取り下げざるを得ません。これが第1の問題。
 それじゃ非常勤講師のお話はお断りするしかありません、と申したところ、後期に土曜午後の教職科目が入っているので前期のその時間だと学生も負担感が強くないので、土曜日午後で、という提案がありました。研究のためのフィールドワークやら地域の諸活動にあててきている土曜日というのは、私自身、困るところですのでやはりお断りするしかないと考えました。しかし、この非常勤は有力な知人を介してのものですのでその知人との関係性を無視するわけにはいきません。結果的には引き受けざるを得ませんでした。ここで断固拒否すれば、私が土曜日に大学で授業をする、という問題は回避できておりますが、大学そのものは先に述べたような事情で、土曜開講を進めておるわけです。これが第2の問題。
 私の授業方法はディスカッションが主体となります。N大学での受講生は30人弱ですから比較的ディスカッションがやりやすいクラスです。ただ、私自身は、ご承知のように聴覚障害を持っておりますので、学生の声を拾いそれに対応するということにどれだけできているか、学生が満足しているか、不明なところではあります。N大学では私のそのようなハンディに配慮し、聴覚補助システムを構築すべく努力しておられます。昨年までは学生ボランティア数人が同教室内で学生(と、ついでに私)の発話をパソコン入力し、それを教室前方のスクリーンに投影することによって発話情報を教室全体で共有することができておりました。ところが、今年度からは、入力者は遠隔地にいて入力情報をインターネットを通じて教室内パソコンに送り、スクリーンに投影するというシステムが導入されました。昨年までは「マイク無し」でリアルタイムで行われていた情報共有が、今年度は「マイク付、しかも一台のみ」というシステムになったわけです。このシステムは、聴覚障害を持つ教師が授業をすることを援助する、というシステムではなく、聴覚障害を持つ学生に授業情報を保障するというシステム思想が基本となっています。マイク一台でどうやってディスカッション情報を投影することができるのか、結局、マイク持ち回り、という、まるでミニ演説会にしかならず、学習効果は十分ではありません。システムに合わせて授業をする、という私にとっては至難の業を要求されている毎土曜日です。こういう実情にあることに対して「自業自得」だとか、「(多くの方々に授業が支えられているのは)先生の授業が素晴らしいからだ」とかのご発言が為されたわけです。N大学には「聴覚障害者教師が聴覚障害者補助システムを補助する授業をしなければならないわけですね。」と申し上げ、「開発途中だということを理解するにしても、私の教育方法研究にはとても活用できないので学生諸君にたいそう迷惑をおかけしています。来年度以降の非常勤は、気の早い話ですが、お断りするしかありません。」と申しあげている現在です。
 以上です。長々と失礼いたしました。O様のご研究の成就・大成をお祈りいたします。