「友遠方より来たるまた楽しからず哉」パート3

 ぼくの「保護者」第2世代(エッセイ「焼き肉を探し求め、聖籠流しの街を爺とねねが行く―第4代保護者の話ー」を参照されたい)にあたる旧姓IさんからFBの「友達」申請が届いた。「こんばんは。大変ご無沙汰しております。お元気でいらっしゃいますか?20年ほど前、在学中に教職課程で大変お世話になりました旧姓Iです。ソフトボールばっかりやっていて一年中真っ黒でした^^;覚えていらっしゃいますか???卒業後は私立女子中高で教師をしていました。4年間勤めた後、結婚して名古屋に行くために退職しました。10年前に東京に戻り、息子が小学校入学した時に添削指導の仕事を始め、今に至ります。ちなみに息子は小6です。・・・」 ハイ。覚えております。それほど仲良くしていただいたわけではないですけれど(つまり、食事をみんなとわいわいがやがややるということはたまにしかなかったけれど)、Iさん達は授業中とても賑わしく、「かわいいいたずら坊や・嬢ちゃん」振りをぼくの前でわざとし、ぼくの教育者としての力量を測り、確かめ、そしてたしなめて下さっていましたね。その頃からIさんが所属する学科のメンバーは表面上、ぼくとは互いに「天敵」同士に周りの目には映っていたと思いますが、本質のところでは信頼しあっていましたね。Iさんの仲間達がよくぼくの研究室に来て、「青年期」を語り、教育実践のための教具類の創作品を持ち込みより質の高い教具は何かを議論しあっていました。Iさんも、時折、その輪に加わることがありましたね。
 いやー、なつかしい。なつかしい。
◎昨日授業終了後、哲学を専攻する院生と学部生と2時間余、ファミレスで談笑。院生のN君が「先生、本当にメシ、一緒に食べに行っていいですか?」と問いかけてくれたのが直接的なきっかけ。彼等はクセ球でぼくの「本質」を看取ろうとしていることが手に取るように分かる。それに対してぼくは直球で自己を語り、学問のよりどころとするところを語る。クセ球をきっかけとして徐々に親和性を深めていければいいなぁという目論見が思わぬ展開になった彼等は、ぼくからの「これから定例でこの談話会をやっていこうよ。」との提案に、目を白黒させて(…はいなかったかな?)、同意。隔週木曜日6時から開催することになった。ただし、女子禁制。正面切って男とやり合ったのはアホな時代の喧嘩だけだから、ワクワクどきどきものである。院生はサルトルを好むとか。それとぼくとを重ねたようだ。ん・・・。サルトルの墓がモンパルナス墓地にある…というのは墓地散策で行きあてたが毎度毎度墓参するという行為には至っていなかった。モンパルナス墓地といえばイタールですものね。院生にとって「いいな―。正直うらやましいッス。」と言わしめたのは、「南フランスのニースによく通った数年間の定宿は、サルトルボーボアールの定宿でしたよ。」というぼくの、いいだろいいだろ、という露骨な表現だ。
 今まで交流を持ったことのない学生タイプ。楽しみである。
◎5限は恒例のM君とM君を介助支援しているS君との談話会。全盲のM君がたいそう重要な話題を提供してくれた。それは盲人の友人3人と夜を徹して会話したという話。盲人は普通学校に通うべきか盲学校に通うべきか、というタイトル。友人K君の卒論に関わるとか。その友人K君とは、昨年度の生徒指導の研究でM君が教室で披露してくれた、「チャリを一人でこいで公道を走った」という猛者。世界的なスポーツ選手であるという。彼らの学校経験も、小学校時代を例にとると、一貫して普通学校通学、途中まで普通学校、一貫して盲学校という経験の持ち主。それぞれの経験から導かれることが披露されるだけにとどまらず、制度改革にまで話題が及んだという。学びの主体者の生の声にぼくはかなり興奮しながら、会話に加わった。
◎「川口は耳が悪いから悪口は平気で言えるよな。」と大声で言っている学生がいると、M君が、嫌悪に満ちた表情で語ってくれた。そのことは分かってはいるけれど、実際のことをリアルに聞くと、寂しさが募る。大の大人になっても、いじめと差別を、快感を持って行っているし、その連中が教師をめざすという。そのうち自身に返っていくさ。
◎「先生と旅をしたい」とM君。彼の大学院入試が終わったら実現しようと話が進む。行き先は釜山。S君のお母様が通訳を仕事としておられるということだ。