学生の「革命」

 清瀬。今日は「アヴェロンの野生児」の「同化」問題を潜在テーマに据えた。トリュフォーの映画鑑賞、そしてぼくの作成した資料説明。聴覚障害学生と聴覚障害教師との支援の入るクラス。ディスカッション型授業を模索しつつもまったく不能な状態が続いていた。終了後学生数人から授業の意図などを問いただされる。至極まっとうな「問い」。授業中、学生たちの中に大きなフラストレーションがたまっているであろうことを理解していたので、「出席」を話題にし、完全解放型の授業を提案。その結果として「問い」が出され、授業改善の要求が強く出された。ただ、支援システムがこのままである限り、改善したくともできない、と返答。あれこれやりとりをする中で、次回以降、ぼくへの支援を取りやめ、聴覚障害学生には手話法による支援へと切り替えるという、支援システムを変更することとした。ぼくへの支援はなくとも何とかする(ぼくが教室の中を「走り回り」、発言を「拾う」など)。次回から学生主体の授業に転換できるだろう。
◎ぼくは、ぼくがもっとも嫌う権力主義教師に成り下がっている。いや、あっちでもこっちでもそうだとみなされているのが実態。理の無いのもあれば理のあるのもある。理のあるものには強く耳を傾けなければならない。
◎姫様が参加して下さった。前々から参加希望を出しておられたがようやく実現。「修羅の授業」の様子をしっかりご覧いただいたわけだ。ぼくの「変わらない姿」と「変わった姿」とをどのようにご覧になっただろうか。「映像字幕が読み取りにくい。」という教材としての的確性については厳しいご批判があった。字幕がない映像では全員の教材とはならないので、今期、一番頭を抱えている問題ではある。