「こどもの日」、取手遊歩

 今日はこどもの日。といっても我が家には祝うような「子ども」はいない。
 親であるぼくが長年無沙汰をしている「子ども」に会いに行こう。その「子ども」はぼくの父と母の傍で永遠の眠りについている。行き先は「取手メモリアルパーク」。単独行である。
 軽い昼食を済ませて自宅を出た。12時過ぎ。取手駅東口に降りタクシー乗り場へ。「取手メモリアルパークまで」と告げる。運転手さん、なにやらことばをかけてきたが、「ごめんなさい。ぼくはツンボなのでよく聞こえません。お話しのお相手はしかねますが、機嫌が悪いわけでありません。ご容赦を。」と言うと、苦笑いをした。
 墓地管理事務所に立ち寄り挨拶。我が家のお墓のあり場がどこか不明なほど、墓基が増えていた。管理者に案内を請い、墓参り。墓標には、父、長男、3女、そして母の名が刻まれている。

父 1944年12月23日没 行年32歳 / 長男 1976年1月29日没 行年1歳 / 3女 1985年11月6日没 行年2歳 / 母 2004年11月15日没 行年92歳
 墓碑銘は「和」。下娘中学1年の時の書になる。無宗教墓。お参りをする者がそれぞれの信じる形ですればいいと、配慮した。「日本社会構成の観念的最小単位は家族である」という家族観から見れば、この墓は「統一観念崩壊家族」を象徴することになる。
 墓参りは母の納骨以来のこと。「ゴメンね、ヒロシ君、コウちゃん。家の者はみんな元気にしているよ。コウちゃんの下のお姉ちゃんに、コウちゃんと同じ名前の子がいるんだよ。うれしいね。」などと語りかけ、母には、「おばあちゃん、あの世で孫守頼むね。」と手をあわせた。
 少し墓地内「公園」で身体を休め、帰路につく。当初から決めていたように、徒歩である。
 公園墓地は田園地帯の中にある。ちょうど田植えの時期。水が引き込まれた田は誇らしげに日の光を跳ね返している。そして、田植機がゆっくりと働いている。そして農夫、「オレの顔撮してもしょーなかんべさな。顔サ見えねえように撮るんならかまわね。」で、パチリ。



 水稲の苗が植えられれば、当然、陸稲の苗も植えられる。ぼくは「田作り」の経験はないが、「土起し」は少年期の強烈な思い出となっている。そうそう、こんな風だったなぁ。腰が痛いんだ。

 畑のまわりの葱坊主、菜の花…。いずれも郷愁がそそられた。でも、この花はなんざんしょか。

 取手駅に向かう道は旧街道と交差。大師堂(昭和期に再建されたもの)あり、道祖神あり。ぼくの歴史好奇心をほんのちょっぴり満たしてくれた道筋である。


 そこからはややアップダウンの厳しい道を取手駅へ直行。全行程、途中水飲み休憩を挟んで、おおよそ2時間の散策。駅舎にはぼくのゼーゼーという呼吸を整えてくれるが如き風情の二羽のツバメが羽を休めていた。すぐそばに作りかけの巣がある。ご夫婦ツバメさん、元気な子を育ててね。


 間違いなく夏がそこにやってきている。