朝風呂から始まった一日

 どうも夜しっかりと寝られない。朝は5時過ぎに目が覚める。そういう歳なんだろうな。どう受け入れていこうか。今日は朝風呂をたてた。庄助さんみたいに身上つぶさない、今のところ。だって風呂の後仕事に行くんだもの。
 Aさんから教育学の学習のための文献紹介の依頼があり、とりあえず、勝田教育学、デュルケム教育学を紹介。続いてTさんが来室。ご子息が入学した小学校の実践についてお話を伺う。「生活教育」の素晴らしさを讃えられ、とてもうれしくなった。4限開始前、Eさんが来室。大学教育実践で行き詰まっているぼくに対する応援のため。とてもありがたいこと。いろいろと練っている実践プランを聞いてもらった。
 道徳教育の研究は空襲、敗戦を綴った校長の日録をもとにしたぼくの通信「平和を考える」を配布し、3週間にわたって取り組む「素材」であると説明。ドラマ化に挑戦する。groupで検討する中でいろいろと疑問・不明な点が出て、たくさんの質問が出される。ぼくは教室の中を汗だくで走り回る。そうそう、こういう授業をぼくはしたいのだ。「素材」が直接的に綴っているのは、第二次世界大戦末期に立ち会った学校長の、まさにリアルな「アイデンティティ喪失」。これを主題にしていかようにもシナリオ化すればいいと願っている。
 教育基礎は「同化」。それは「自己形成のコア」となる。「同化」できなければ排除される。ちょうど実演ができる「素材」があったのは皮肉。
 夜は哲科の学生・院生と談話食事会(第2回)。今日の食事は日本蕎麦。天ざるでいただく。蕎麦食の希望は院生から。自己の揺らぎ、同時に自己の挑戦が主題となる。楽しい語らいの一時だ。