セガン報告(4)ー原稿完成

 昨夜は恒例の「男子会」。臨時会員として大学院生1名を含む3人と学女から1年2人参加。計7人(ぼくを入れて8人。わいわいがやがや賑やかに。次回には円卓で会食をということになった。名称は「男子会」のまま。ひょっとして、これがはやりの「合コン」とか言うやつかな?あ、でも、人数が釣り合わないな。
 4限の道徳教育の前にセガンの報告書原稿作成。ほぼ完成した。あとはフランス語で綴った部分のスペルチェックなど念入りに行う必要がある。S先生から言われた、ぼくのセガン研究の位置づけと評価に関しては次のようにした。(概略)
「21世紀に入って、日本における<SÉGUIN>研究は新しい展開を見るようになる。その端緒を切り開いたのが、藤井力夫(前北海道教育大学助教授) の研究と福祉施設創設である。藤井は心理学研究の立場からDr. SÉGUINの「生理学的教育」とりわけその実践と理論の成立過程に着目し、渡仏し、フィールドワークと史料(Dr. SÉGUINの著作等)発掘、史料の分析的研究を繰り返し、学会や大学の諸紀要に発表している。その精緻な研究によって、Dr. SÉGUINの白痴教育論の構造、ならびにその成立過程が明確にされ、それと同時に、現代の白痴教育に直接応用できることを理解し、大学助教授の職をなげうって、福祉施設を創設し、<SÉGUIN>による知的障害教育と福祉の実践に力を注いでいる。私たちは彼を「現代日本セガン」と呼び、尊敬している。
 あと一つは、川口幸宏による<SÉGUIN>研究である。川口は特殊教育研究ではなく、近代初等教育史研究をプロパーとしている。フランスを対象とした研究では「フレネ教育」や「パリ・コミューン」の初等教育に関する論文を発表している。これらに貫いている研究方法が<SÉGUIN>研究にも導入され、徹底したフィールドワーク・史資料発掘とその評価による実証主義に貫かれているのが特徴である。川口の<SÉGUIN>研究のきっかけは2003年7月末に清水寛等と共にクラムシーを訪問したことにある。それ以降毎年のごとく、Dr. SÉGUINの半生の人生行路を訪ね歩いている。生誕の地クラムシーには計4度、母の出生地でありDr. SÉGUINが幼少年期を過ごしたオーセールに3度、パリには延べ8度、その他父祖の地クーランジュ・シュール・ヨンヌにも脚を運び、それぞれの地の古文書館や図書館、古書店等で史資料を求め、またDr. SÉGUINが定めた住居地、学んだ学園、働いた場所を訪問した。川口の<SÉGUIN>研究は、Dr. SÉGUINの白痴教育実践・論の成立過程を彼の主体形成の側面からとらえ直そうとするものであり、日本における<SÉGUIN>研究史の中では、きわめて独自性をもっていると言える。彼の<SÉGUIN>研究の成果は、『知的障害教育の開拓者セガン−孤立から社会化への探究』(東京、新日本出版社。2010a)や『セガン研究のための栞』(2010b)、「旅路−Onézime-Édouard SÉGUIN その生誕からフランスを去るまでの光景」(2012)などにまとめられている。また、川口は、それらの著作において、Dr. SÉGUINの初期著作の幾編かの邦訳を試みている。(À Monsieur H… Résumé de ce que nous avons fait depuis quaterze Mois. Du 15 février 1838, au 15 avril 1839. 1839.、Conseils à M. O… sur l’éducation de son fils. 1839.、Les Flotteurs, 1841. )  
 研究の特徴(成果)を箇条書きにて示す。
1.母系の調査の中で母系祖母の居宅が現存していること、その居宅でセガンが幼少期を過ごしたこと、を明らかにした。(2010a、2012)
2.1830年革命に主体的に加わり、功労者として褒賞が授与されていることを明らかにした。(2010a)
3.1848年革命と関わる組織に加わっていたことを明らかにした。そのポスターが見いだされた。(2010a)
4.セガンの白痴教育実践の開拓、展開をAP/HP古文書館所蔵の原史料で確認した(2010a、2010b)。
 清水寛は、川口幸宏の研究は日本における<SÉGUIN>研究史の中で最高の到達点に立っている、と高く評価する。
 我が日本における<SÉGUIN>研究100年数十年の歩みは、排除・阻害され続けてきた知的障害を持つ人々を社会に解放し共生者としての権利を持つ人々としての正当な位置に据えるための熾烈な戦いと実践可能な方法の開拓の創意工夫があったことを、明らかにしている。つまり、<SÉGUIN>は、我が日本の教育・福祉の向上に大きな寄与をしているということができる。それにとどまらず、川口によって明らかにされたことは、<SÉGUIN>は、少・青年期という自我形成期において、社会の不平等と管理統制とに対する強い疑問から導かれた具体的行動−「革命」への参加、サン-シモン主義者としての政治、社会、芸術などの諸活動―を起こしている。<SÉGUIN>の白痴教育開拓はそれらの活動の総集約であったということができるが、それはとどのつまり、青年期をどう生きるべきかという普遍的テーゼとして、今日、学び取ることも可能である。