日常へ

 昨日、釜山から帰国。台風に巻き込まれ、旅程を変更せざるを得なかったのが残念だが、旅の同行者と多くを語り合えたのは幸せだった。それと同時に、旅の主人公がぼくの杞憂を完全に払拭し、自在に触覚を利して、対象認識活動をしていたこともまた、喜びであった。「感性的認識」がいかに物事の理解のベースになっていることか。理性的・悟性的認識を至上価値としてきたぼくの教育学的狭量を思い知らされた。ようやく、ペスタロッチの認識論を実感したというべきか。ずいぶんと年月を要した−50年近く−ものだと思う。それほどに「近代主義」に侵されている訳なのだが。
 旅の途中、通訳サンが、ぼくの生育史や生活の一端を口にされるので、尋ねてみたところ、「ブログを拝見しました」という。HPに載せたエッセイをお読みいただいているようだ。ありがたいこと。