あと2週間

 今月24日にフランスに出発する。今日、飛行機のチケットとホテルの代金を振り込んだ。いよいよなんだな−。
 クラムシーは、周りを緩やかな丘陵地帯、そしてその奥は森林という環境に囲まれている。ぼくの貧相な地理的知識だと、ひょっとしてここ盆地?ということになる。その盆地を流れ次の地域とつなげているのがヨンヌ川、さらにはナポレオン時代に開削されたニヴェルネ運河。
 セガン研究の開拓者のお一人であるM先生がこの地を訪問した感慨を綴っておられた一文を拝読したことがある。記憶が正確ではないが内容的には、クラムシーという土地はルソーの『エミール』のいう「自然」に通じる、ということであった。セガンが「幼少期『エミール』の影響を受けた父親によって育てられた」と述べていることを、M先生は意識して綴られたのだろうと、推察している。M先生とぼくとの「感性」は違うのだなあ、と思った次第。
 旧市街地からクロ・パンソンの丘への坂道を登ろう。1851年のナポレオンによるクーデターに武力を持って立ち上がったクラムシーの人々がナポレオン軍に追い詰められて逃げとまどった森があったところだ。ある者は森の奥に逃げ込み、ある者は川に飛び込み・・・、そしてすべての者が、囚われの身か溺死の身かになったこの事件。事件の首謀者2人が絞首刑に処され、遺体はそのまま吊し曝された。かなり後年になって、この大事件−クラムシーだけで600人が刑罰を受けた−を顕彰し、絞首刑に処された首謀者2人の追悼碑が建設された。それがクロ・パンソンの丘の中腹にある。当時茂っていた樫の木は伐採され宅地になっている。
「後ろを押しますから、丘を登りましょう!」
 そんな影の声が聞こえた昨夜。