具体的感想

 帝京平成大学の村山拓氏から、クラムシーでのシンポジウムについて報告書を綴った『セガン研究報』(最終号)の感想が寄せられた。氏とは清水寛編著『セガン 知的障害教育・福祉の源流−研究と大学教育の実践』(全4巻、日本図書センター、2004年)の最終編集段階で初めてお目に掛かり、「セガン」年譜を共同で担当・執筆させていただいた仲である。氏がアメリカ時代、ぼくがフランス時代。それ以降、折あるごとに交誼を結んでいただき、日本セガン研究会会報『セガン研究報』第8号(特集 セガン生誕200周年記念)に「アメリカにおけるセガン像の解明に向けて」をご執筆いただいた。ぼくが信頼を寄せる数少ない研究者のお一人である。ぼくから見れば「若手」であるけれど、社会的に見ればそうではないのだろうな。氏の感想は次のようである。
「クラムシーでのシンポジウムについて、大変興味深く拝見しました。
 川口先生の一次資料に基づくセガン像の実態の解明が、フランスにおいてどのように受け止められるのか、またフランス人でも知らないようなセガン像の解明にどのような反応があるのか、と期待しておりましたが、シンポジウムでのスタンディングオベーションとは本当にすばらしいことと存じます。その会場にいられなかったことが残念でなりません。
 事前に予稿を拝見しておりましたが、改めて、日本におけるセガンの実践の導入とセガン研究の系譜を読ませていただき、第二期と第三期とのセガン像の「変化」に驚かされることが多いです。
セガンについて、一度定着し(てしまっ)た像が修正されることは容易ではなく、またそれだけに、研究者は資料に基づいて厳密に実証作業を進めなければならないと、改めて感じた次第です。
 また、川口先生のご講演の中に、私の名前が入っていたこともありがたく、また大変恐縮もしております。
 会場で展示された資料や、フランス、アメリカでのセガン研究者のお名前一つ一つが、とてもありがたい情報でした。恥ずかしながら、ドナルド・ハーター氏についても初めてうかがう名前でして、いまいくつか検索してみても、セガン研究の業績を見つけることができませんでした。時間をかけてリファーする必要を感じた次第です。
 最後に、今回の『セガン研究報』をもって、日本セガン研究会の活動が終了とのことで、川口先生のこれまでのご尽力に心から御礼申し上げるとともに、お役に立てなかったことに深くお詫び申し上げます。
 今後とも、よろしくお願い申し上げます。」
 いやいや、言い出しっぺであれこれ教訓をお垂れになるだけのお方や「研究開拓者は私ですぞ」とお叱りをくださる方より、遙かに遙かに、現実的で協力的で、かつ、研究的ご厚誼をいただいております。こちらこそ、よろしくお願いいたします。
◎研究室にて、来週の講義の準備ならびに17日のセガンシンポジウム参加報告会の準備。