説明不足だなあ

 Tさんに『トリュフォーの手紙』という本を頂戴していた。ヌーヴェルヴァーグの旗手としての映画人、映画『野性の少年』(1966年)の監督・主演の人ということしか知らないぼくにとって、その狭量さを広げて新しい世界に逢着することができる書物なのだろうという期待と、聴覚の不自由さが「中度障害」と特徴付けられるようになって以来、以前は(18歳以降40歳ぐらいまでは)狂ったように映画館に通っていた(もっぱらやくざ映画と言っていいジャンルなのが恥ずかしい。洋モノに対しては嫌悪感が先走りまず見ることはなかった。)のとは打って変わって、自分から進んで通うことはなくなったし、テレビも見なくなった、従ってDVDさえ視聴しなくなっている。そういうぼくだから、どうしても「映画のことはよく分からない」という形容詞をつけてしまう。「分かろうとしません」なのではない。「分かる」までに到達する経験を保有していないというぼくなりの言い回しなのだけれど。
 Tさんからいただいた今朝のお便りにあると同じように、ぼくも「『野生の少年』を映画の題材としてとりあげたトリュフォーの社会的・教育的眼差しに共感」して映画DVDを見たし、今も見ていると言っていいだろう。ただ、それがトリュフォーの生育歴と重ねることができるということまでは情報として得ては来ていない。いただいた本によって詳しく知っただけでしかない。ぼくが「野性の少年」をDVDを媒体として視聴するようになったきっかけは、セガン研究を進めていく過程の中でセガンの語るイタール像、イタール実践がどこまで実像なのかを確かめたくて、観たことにある。映画がイタール実践の事実を描いていると、事細かに、カットシーンに沿って実践事例をS先生にご説明いただいたということによる。つまり、映画は事実そのものであるというのだ。だが、当たり前のことだが、映画は映画の主題に沿ってデフォルメしていることを知った。
 では、トリュフォーは何故にデフォルメしたのか、それがぼくのトリュフォー映画に対する興味関心となり、ぼくの内面に沈殿していった。それに対するぼくなりのぼく自身に対する「回答」が、『知的障害教育の開拓者セガン』の序章執筆へと結びつく。もちろん著書では、トリュフォー論など書きようもないけれど、「内科部長・イタール博士」は間違いなく、社会の底辺で呻いて反社会的存在者としてレッテルを貼りうるトリュフォー像(野生児ヴィクトール)と、ヌーヴェルバーグの旗手として頭角を現し社会の大きな文化の波を起こしたトリューフォー+誰にでも観てもらえる映画作りの巨匠の一人トリュフォー(文明社会に同化することを最終的に選んだヴィクトール)との、前者を後者に昇華させる形象であることを、ぼくはページ外に綴っていた。このあたりで、S先生との「衝突」が強くなっていく。
 本当はこういうことをTさんに綴りたかったし、本をいただいたからこそ、ぼくなりのイタール実践総括を深めることができたことで感謝しなければならないし、それよりも何よりも、リアリズムをどのような方法で描くのかについて、同書は、多大にぼくに影響を与えるであろうと思っている。いや、同書に描かれたトリュフォー、そしてその良き批判者であり敵対者となったゴダールに、ぼくは今後も学び続けたいと思っていることを。